三郎が例のごとく『学園長のおつかい』にいかされてから、
二度日が昇り、そして沈んだころ。
僕はいまだ帰ってこない三郎のいない、ずいぶん静かな部屋にいた。
夕飯をおえ、湯も浴びて、もう寝に入る寸前だった。
いつもならもっと遅いのだが、
ひとりきりの部屋では、なにもすることがなくてあまりにも退屈だ。
(なーんて、僕もアイツにだいぶ感化されているのかも)
ずいぶんおもしろいこと、が好きになった。
兵助やハチに絡むのも、馬鹿みたいにはしゃいで騒ぐのも。
まちがいなくあの三郎の影響なんだろうな、と思ったとき。
「ただいま」
「・・・!!」
気配がなかった。
いつものことだけど、二日ぶりの声だったから余計に。
「びっくりした・・・おかえり、三郎」
そういうと、彼はうん、と小さく返して僕が敷いていた布団の上にどさっと座った。
目の下にうっすら隈が出来ている。
二日と半日以上もかかったのだから、やっかいな任務だったはずだ。
おそらくあまり眠っていないのだろう。
髪が濡れている。
わざわざ部屋に戻る前に風呂にいってきたんだろう。
服は、出かけたときに着ていた忍び装束から私服に着替えられている。
「・・・おつかれさま」
「ああ、すこし疲れた。 ありがとう」
彼のありがとうは、いつ帰ってくるかわからない私のために布団を敷いておいてくれて、の礼だろう。
僕は笑いながら「いいえ」と返した。
三郎はぐっと背を伸ばすと、はーっと息を吐きながらそのまま布団に突っ伏した。
「もう、そんな格好で寝ないでよ。
ちゃんと着替えなさい」
「はーい」
三郎は服を脱いだ。
僕はそれを見て、ああよかった、と安心する。
彼は、もし、まあ滅多にないことだけど、
任務で怪我を作ってきたら、僕の前では決して見せようとしない。
多分風呂に行ってから、そのまま寝装束に着替えていたはずだ。
だから、こうやってわざわざこの部屋で服を脱いでくれることは、
無事で帰ってきたことの暗黙のサインだ。
「(ああよかった)」
それから半刻ほど、三郎がいなかった間のことを話した。
兵助が火薬委員でまたタカ丸さんを叱りつけたこと、
生物委員から毒蜘蛛が逃げ出してハチが見つけ出したこと、
一年は組が学園でやらかした事件。
僕の話すことを、三郎はおもしろそうに笑って聞いていた。
忍が任務の内容を口外することはない。
だから、僕はなにも聞かないし彼もなにも話さない。
一通りあったことを話して、笑ってから、三郎が「そろそろ寝るか」と言った。
「じゃあ、火を消すよ」
「うん。おやすみ、雷蔵」
「おやすみ」
それだけ会話すると、三郎は布団にくるまった。
同じように、僕も布団の中で目を閉じる。
視界が遮られると、よけいな五感がより働く。
隣の三郎からかすかな血のにおい。
忍術の腕前は六年生以上やら、千の顔を持つ男だとかいわれる鉢屋三郎という男。
彼にはそう言われるだけの力があるのだから、しかたない。
しかたないのだけれど、三郎の任務はいつも命にかかわるものが多い。
いつも帰りを待つこっちにすると、心配でたまらない。
殺すか、殺されるか。
今回の任務では、彼は無傷だった。
それは、彼が殺す側だったということだ。
忍なのだからしかたないといえばそれで終わりだけど、あまり喜ばしいことじゃあない。
三郎はいつも任務から帰ると完全に血の臭いがとれるまで、
僕を抱かない。
それに、いつもつるんでいる兵助やハチとも距離をとる。
しばらくすると彼のほうから溝を修復してきて、いつのまにかいつも通りに戻るけど。
僕にはどうもそれが悲しい。
もちろん彼が死ぬのが一番嫌なんだけれど、距離が出来ることも嫌だった。
(三郎、なぜそんなに離れるの?
一番お前のことを分かっているはずの僕だって、たまに三郎が読めなくて恐くなるんだよ)
そんなことを考えているうちに僕は眠っていて、いつのまにか夜は明けていた。
となりに三郎はいなかった。
布団はそのままにされている、ということは僕が片付けなければならないのか?
着替えを終えて、ため息をつきながら、まず自分の布団を片付ける。
「おはよう、三郎は?」
級友のハチが、部屋に入るなり一番に言った。
相変わらずぼさぼさの四方八方に飛び跳ねる髪が、朝の光でちいさく光った。
「ハチおはよう。三郎が帰ってきてるの知ってたんだ」
「ああ、昨日の晩廊下で会った」
三郎は僕よりも先に起きて食堂に行ってるんじゃない、と言うとハチは苦笑した。
それから三郎の布団を片付けてくれた。
「またかぁ・・・しょうかねぇやつだな」
また三郎を待たなければならないのか。
呆れたふうに言って、僕の頭をわしわしと掻きまわした。
少し驚いてハチを見上げれば、屈託のない明るい笑顔で「早く用意しろよー」と言って部屋から出て行った。
多分なんらかの心配をしてくれたんだろう。
「(僕もぼさぼさだー・・・)」
僕もあんまり綺麗ってわけじゃないけど、
いつもよりぼさぼさの髪を直したらみんなのいる食堂に行こう。
きっと三郎もまだ食堂にいるだろう。
少し離れた所に座って、僕らが朝食を食べるのを待っている。
そして授業には一緒に行くんだ。
三郎が僕の隣で、半歩下がって歩きながら。
それから、日が経つにつれ彼は普段の距離に修正し始めた。
七日ほど経つと、ほとんどいつもと変わらなかった。
一緒に食堂に行って、一緒に食べて、一緒に授業を受けて、一緒に風呂に入った。
それでも、彼はやっぱり僕を抱かなかった。
いつだってベタベタしてくる三郎の割にはよーく我慢している。
(そんなの必要ない我慢なのに)
その夜、僕は蝋燭の明かりひとつだけの薄暗い部屋で彼に言った。
「ねえ、三郎」
「なんだ、雷蔵」
「どうして僕にふれないの」
「・・・ふれてほしいのかい?」
そんな会話をすると、三郎は意地悪く笑う。
「そうだね。ふれてほしい」
「!!」
負けじと意地悪な顔を作る。
僕の顔だけど、びっくりした三郎の顔は珍しく可愛らしい。
くすり笑いながら僕は自分の布団から、三郎の布団へと体を寄せた。
彼の下ろした髪にそっと触れる。
僕と同じ造りをした顔が、目の前にある。
「らいぞ・・・」
「悲しいんだ、三郎。
お前が僕のことを拒絶するから」
「拒絶なんか、してないさ」
「抱かないくせに?」
三郎は、焦ったように目を見開く。
「お前にしては・・・刺激的な言葉だな」
「誘ってるんだ」
わかるだろ、と耳元でささやく。
三郎の肩がびくっと震えたのが分かった。
僕から誘うのは初めてかもしれない。
三郎の首元に腕を絡ませると、彼の体温が伝わってきた。
熱いね、生きている人間の熱だ。
「三郎、僕を抱きなよ」
「・・・・・・」
「お願いだから、抱いて」
「・・・・・・」
「どうしてそんなに嫌がる?」
「・・・・・・俺は」
三郎は僕の腕をつかんで、僕の体を自分から引き離した。
眉を寄せ、眉間に皺をつくった三郎は言った。
「・・・俺は、俺だけを感じてほしい」
そのままゆっくり僕を布団の上に押し倒した。
「・・・俺の全てを感じてほしい」
服を開き、首元に一度口付ける。
「・・・・・他の男の血のにおいなんて、感じて欲しくないんだ」
そういって、頭をぼくの首元に埋めた。
なんだ。
そうだ、三郎は思ったよりも簡単な奴だった。
(そんなの、ただの独占欲じゃないか)
「三郎」
「・・・・・・」
「僕はお前しか感じてない。
今も僕はお前の事だけしか想っていないよ。
お前に抱かれているときに、お前が殺した見知らぬ男を感じるとでも思ったの?
信用してよ、馬鹿三郎」
「・・・ああ、雷蔵」
君はなんて愛しいんだ。
三郎はそう囁いてから笑って僕に口付けした。
***
雷蔵は三郎のことを熟知しているけど、たまには分からないこともあるんだよって話。