噂というのは尾ひれをつけて歩き回る。
とくに狭い箱の中じゃあ、なおのこと自体は大きい。
もちろん本人の耳にもはいるほど。
「なあ、あの噂ほんとう?」
なんて面白がって聞いてくる生徒もいたが、本人は苦笑して逃げていく。
どうやら「人の噂も75日」にきめこんだらしい。
もちろんそういったものはほとんどがただの噂だ。
だが、むきになって否定すればそれだけまたどこかで誤解が生まれる。
はぐらかすのには自信があった。
一部の相手を除き。
「なあ、あの噂ほんとう?」
目の前の顔が作られたものじゃなく本物ならまだ心持ち楽だっただろう。
だが、見分けが付かないほどよくできたその偽者の顔は、本物らしからぬ悪い顔をして微笑んだ。
「・・・」
噂の本人、むしろ被害者である兵助はだんまりを決めこんでいた。
もちろんそれが大して効果がないことは分かっているけれど。
「言わないともっと尾ひれつけちゃうぞ!」
「噂をあそこまででかくしたのはお前か!」
兵助が思わず口を開くと、三郎は誇らしげに頷いた。
そして、悪びれる様子もなく笑ったので、頭に思いっきり拳を落とした。
それでも三郎は表情を変えず、にんまりと笑ったままで言う。
「でもまあ、火のない所には煙はたたないだろう?」
「・・・・・・」
兵助は顔を背ける。
その様子さえ見れば、三郎になんらかの勘を働かせるのには十分だった。
「転入生の髪結い、町の遊び人、学園に来てからも毎日くの一を部屋に連れ込んでるっていう斉藤タカ丸に、
委員会活動の中でだんだん魅力を感じ、しだいに熱を上げていった五年の優等生久々知兵助は骨抜きにされて弄ばれているって噂について、どう思うのよ?」
「・・・長ったらしい説明ありがとう。
で、お前がつくったのはどこら辺?」
「委員会活動の中でだんだん魅力を感じ、のとこ」
「そこは、本当」
兵助がそういうと、三郎はいままで半目だったのを少し見開く。
「あの人、最初は不真面目だと思ってた。
でも実際はすごく真面目だし努力家だし、そういうとこは好きだよ」
「・・・・・・」
その好き、という言葉の意味を図りかね、思わず沈黙する。
そんな三郎に、兵助は聞き返した。
「お前、斉藤が転入してきたばかりのころに、あの人には興味ないって言ってなかったか?」
転入生だとか、そういう話題にはいちいち食いつきそうな三郎が、
まったく興味なさそうにそういったのは、少し意外だったのでよく覚えていた。
「ないよ、べつに。
でもお前からそういう噂が出るって言うのは正直意外だったからな。
あの人が誤解を招くようなことしてるんじゃあないの?」
「そう思うのなら俺のとこじゃなくて斉藤のとこにいけよ」
「面倒な」
兵助のもっともらしい意見を一蹴する三郎を軽く睨む。
本人はまったく気にする様子もなく、
「ここまで本人が来てくれたら、噂のこと、ほんとか調べてやるよ」
なんて能天気に呟いた。
そんなことべつにどうだってよくなってきた兵助は、ああそうと適当に返すだけだった。
部屋に沈黙が響き、少ししてから廊下から誰かの声がした。
「おい、わざわざ部屋までお迎えか?」
「おあついなあ」
げらげらと茶化すような声と、早足で歩いてこの部屋に向かってくる足音。
気配を読まずとも、だれが来たのか想像するのは容易かった。
「すごいタイミングだなぁ」と、三郎が兵助に笑いかける。
足音は兵助の部屋の前で鳴り止んだ。
「・・・兵助くん、はいってもいい?」
「どうぞ」
その声はいつもより幾分大人しかったが、兵助は気にする様子もなく声を返した。
一拍おいてから、障子が静かに引き開けられた。
金髪が隙間からのぞいた。
「あ、ごめんなさい、急に」
「いいよ、入ってきなよ。
こっち鉢屋三郎、俺の友人だから気にしないで」
兵助のとなりに座る三郎を見て遠慮したのか、タカ丸が部屋の中に入ってこなかったので兵助から招きいれた。
おじゃまします、と小さく言うその顔にはいつもらしい笑顔はなかった。
「なに? いつもみたいに勉強教えて、じゃないんだろ」
「うん、あのね、」
兵助の前に俯きながら正座し、顔を上げて話そうとするが、三郎の視線に気付いて言葉をつまらせた。
じっと、見慣れていない人からすると無表情な顔で、タカ丸を見る。
タカ丸は逃げるように目線をそらし、次にまっすぐに兵助を見た。
「あの、噂になっていること、なんだけ、ど」
そこまで言って、また目線を下げて黙り込んでしまった。
部屋に沈黙が走る。
三郎は、そこにいる人をみた。
背丈は六年生と同じほど高いのに体つきは華奢で、目立つ髪がちかちかと目が痛くなるほど綺麗だ。
忍者、なんていってもだれも信じやしない容貌。
兵助はタカ丸に目線をよせながらも、促す様子もなくただ見つめている。
先に痺れが切れたのは三郎だ。
「なあ、あんた」
「へ?」
間抜けな顔で、タカ丸が顔を上げるのをみてから先を言う。
兵助もこちらを向くのが分かった。
「毎晩くの一を部屋に連れ込んでるってのはほんとうか?」
「・・・んぇ?」
目を数回、まばたかせながら、またも間抜けた声をもらす。
三郎も、もっと否定するなり慌てるなりするかと思っていただけに、彼の呆然という様子に首をかしげた。
「え、そんな噂も流れてるの・・・、ですか?」
三郎が五年生、つまり先輩だということを思い出したのだろう。
むりやりとってつけたような敬語で、唖然という顔で聞き返す。
「知らなかったのか?」
「え、あ、うん。俺はそういう噂は聞いてないけど・・・」
「でも、本当か?」
三郎が、感情を読み取りにくい顔で問う。
すると、彼はぼうっとした顔に苦笑を浮かべた。
「まあ、女の子が部屋に来てくれるっていうのはほんとだけど、俺が連れ込んでる訳じゃない・・・ですよ。
彼女らはただの、俺の髪結い客です」
「髪結い?」
三郎が怪訝そうな顔で聞き返すと、困ったように眉をひそめて笑った。
「髪結いは休みなしなので。少しでも髪に触れていないと腕がおちますから」
「へえ、そう」
どこか冷めたように、はき捨てるようにいった三郎に、兵助から睨むような視線が向けられる。
だが、目の前の人は相変わらずゆるく笑っている。
「・・・俺、こんなんでしょう。
忍術学園に入ったのに、まだしつこく髪結いを捨て切れていないって思われている人、多いと思います。
なんせみんなが危険な状況にいたとき、今まで俺はいつも町で髪結いながらおしゃべりしてたんだから。
でも、」
タカ丸のその柔らかい表情が崩れ、その瞳が色を変えたのを三郎ははっきり目にした。
その目は年相応、年上の大人びたもので、表情は落ち着いていた。
「俺は髪結いを手放す気はないし、忍者をなめてるわけでもない。
だって、忍者になるのに髪結いは利用できるひとつの手段でもあるでしょう、」
せんぱい?といったその顔はふにゃりとした噂どおりの人懐っこい笑みで。
三郎の鉄火面に驚いたような色が浮かんだ。
それを兵助は隣で静かに、おもしろそうに眺めていた。
タカ丸は、小さく息をすってから、改めて兵助の方に目線を向けた。
「噂のこと・・・その、すごく迷惑だと思う。
俺、同姓からはどうも好かれないみたいなんだよねぇ、昔っから」
へへへ、間抜けた苦笑する。
だが、まだその表情の明度はいつもよりも暗い。
「だからこれから先、勉強教えてもらえなくなったり委員会とかでも避けられちゃったら嫌だなぁって・・・
それでね、謝りに来ました」
ごめんなさい、と土下座した。
タカ丸は兵助の様子が気になるのか、顔をなかなかあげようとしなかった。
だが、自分の髪に誰かの手が触れたのに気付き、ふっと頭を上げた。
「気にしないでよ。
べつに斉藤が悪いわけじゃないんだし。
それに、俺はお前のこと嫌いじゃないよ。
一生懸命やってるの一番知っているし、そういうところ好きだから」
兵助がそう言って頭をなでてやると、タカ丸が一気に赤面するのが分かった。
噂の遊び人というのとは随分違った印象を受ける。
三郎は頭をなでられながら、すっかり大人しくなったタカ丸を見ながら、
(兵助はすごい天然・・・いや、どっちもか)
とぼんやり考えていた。
無意識に笑みが漏れる。
「あー、私帰るわ」
急に立ち上がった、三郎に二人が同時に目をむける。
兵助が不思議そうに、タカ丸は気を悪くさせてしまったかと心配そうな顔で三郎を見上げた。
「兵助」
部屋から出る直前、ふいに三郎に名前を呼ばれ、兵助がん?と問い返した。
「やっぱ前言撤回」
興味が湧いてきた、とても。
そういってやると、二人してきょとんと首をかしげるのだから、
三郎はお似合いだなと内心呟いた。
「おもったよりもおもしろそうだ」
くすり。
戸を閉めて、そう呟いた。
2人に気付かれないように。
さて、収集なく広まったこの噂、一体どうしてやろうか。
そう思案する三郎の悪戯めいた笑みを、偶然見つけた雷蔵に指摘されたことは言うまでもなかった。
***
このあと噂がどうなるかはご想像に・・・(考えてない人
時間軸的には「好き嫌い」よりも前ですが、
書いてたときに「三郎は最初はタカ丸にあんまり興味なかったんじゃないかな」と妄想してみた。
なんかこう、すごいもてはやされてる物にはあえて飛びつかない。
すごい話題の映画をあえてDVD出るまで見ない、みたいな感じの精神で(謎