注射

 
「いーーーやーー!!」
 
腕を引っ張られれば、座り込んで抵抗する。
今にも泣きそうな顔で黄色い頭をぶんぶんと横に振りながら叫ぶその様は、
 
「あーもう!アンタほんとに年上か!?」
と、年下の先輩である久々知兵助にそう言われるのも当然だった。
それでも未だに「いやだいやだ」と駄々っ子みたいに拒否する斉藤タカ丸は、
珍しく繋がれた手を自分から解くのに必死だった。
 
かれこれ、このような状況が十数分続いている。
寮の廊下で繰り広げられているこのやりとりはなんとも人目を引くものだったが、そんなの構っていられない事情があった。
 
「予防接種は学校の強制なんだし!
 今年のインフルエンザはなんかすごいらしいから、ちゃんと病院いきなさいって!」
「やだっ!注射嫌い!!」
高校生、しかも本来なら高校三年生である大の男が言う言葉には到底思えない。
兵助は呆れながらも、がっちり掴んだ両手を引っ張りながらズリズリと廊下を進んでいく。
それに抵抗し、反対方向にタカ丸が倒れこむくらいに重力をかければ、思わず兵助が前のめりに転びそうになった。
図体だけなら、タカ丸のほうがでかいのだから仕方がない。
 
兵助は苛立ったように声をあげた。
「なに情けないこと言ってんだ!」
「だって、昔採血の時に看護婦さんが失敗して、どばーって血が噴き出したことあったんだよ!
 それからトラウマなんだもん!!」
そう言ってしゃがんだまま顔をあげると、その目は涙ぐんでいて、
(うっ・・・・!)
悪いことはなにもしていないのになんだか悪人扱いされているようで、思わず言葉に詰まった。
しかし、ここで引き下がる訳にもいかない。
 
「今回は採血じゃない!予防接種!」
と正論をぶつけてみても、その子供は「注射は注射じゃん!」と泣きかけの顔をさらに歪めた。
 
「怖くない!インフルエンザになる方が怖いっつーの!」
「そ、れはそうだけど!」
思わずタカ丸の力が緩まった。
兵助は、しめた、とそのままぐいっと勢いよくタカ丸の両手を引っ張り、無理やり立ち上がらせた。
「な、俺も一緒に行くから」
「……はい」
しおらしく返事をしたタカ丸の頭を兵助がわしわしと撫でる。
タカ丸は口を尖らせながらだったが、大人しく兵助の手を握ったまま病院へと連行された。
 
 
 
平日の夕方、しかもを営業を終えるおよそ三十分前ということもあり、患者の数は少なかった。
インフルエンザの予防接種を2人、とカウンターの向こうに座っている女性に告げると
愛想よく笑いながら、こちらに記入してくださいと、問診表と体温計を渡された。
兵助とタカ丸はテレビの前の席にすわり、体温を測りながら、問診表に○を付けていった。
先にピピッと鳴ったのは、タカ丸の体温計だった。
「何度?」
「…36.8」
平熱だったのが残念だったのか、タカ丸は小さく息をつきながら、紙にその数値を書き入れた。
続いて出た兵助の結果も、至って平常だった。
 
「久々知さーん」
問診表をカウンターの女性に渡してから数分後、診察室の中から若い看護婦が名前を呼んだ。
兵助は立ち上がりながら、タカ丸に逃げるなよと釘をさす。
もうここまで来たら逃げる気もないのか、タカ丸は分かってるよと拗ねて頬を膨らませた。
子供じみた表情に兵助は苦笑しながら、一足先に診察室へ入っていった。
 
 
「斉藤さーん」
タカ丸の名前が先ほどと同じ看護婦に呼ばれたのは、兵助のほんの5分後だった。
思わず肩が震えたが、仕方なく診察室の中へ入っていった。
 
「兵助くん、もう終わったの?」
「うん」
兵助は制服のシャツを着なおしながら言った。
50歳くらい医者が「じゃあ君、どうぞ」とタカ丸に微笑む。
それは小さな子供を安心させるような優しいもので、タカ丸も少し安心した様子だった。
兵助はそのタカ丸を後ろで見守っていた。
 
シャツを脱ぎ、その医師に聴診器で胸と背中の音を聞かれた後、
先ほどとは違う看護婦が銀色の器を持って医師の後ろでスタンバイした。
「じゃあ」とそれだけ促すと、その看護婦がタカ丸の左手を台にのせた。
看護婦は注射を打つ、肩の少し下の辺りを消毒液のついたガーゼで優しく撫でた。
いよいよタカ丸は泣きそうになる。
不安そうな目をして、きゅっと唇を噛みながら兵助を振り返り見上げた。
兵助は大丈夫、と口パクで囁いた。
 
看護婦がてきぱきと準備を進め、注射器を持った。
針の先端が、白熱灯の光でちかっと光る。
「はーい、注射うちますねー」
軽い口調で看護婦が言い、タカ丸の手を掴んだ。
びくっと、剥き出しの細い肩が震える。
兵助の位置から見える横顔は、ぎゅっと目を瞑って俯いていた。
 
躊躇なく、注射器の針がタカ丸の腕に刺された。
「ゃっ…」
小さな声が漏れる。
タカ丸は銀色の異物が血管を刺す、その痛みに顔をしかめた。
無意識のうちに力んでしまい、看護婦に動かないでください、と注意されてしまった。
 
針が体の中に入っていたのはわずか2・3秒で、すぐに針は抜かれた。
皮膚はまだじんわりと痺れるような痛みを帯びている。
タカ丸はすっかり脱力しきった様子だった。
「じゃあ、よく揉んでくださいね。
 今日はお風呂に入っても結構ですけど、強く擦らないでくださいねー」
またも軽い様子で看護婦が言った。
タカ丸はシャツを着なおして右手でガーゼの張られた注射痕をもみながら、医師と看護婦に礼を言い、診察室から出た。
 
 
 
待合室の椅子にどさっと倒れこむように座りながら、タカ丸は大きく息をついた。
兵助は隣に座りながら、タカ丸の疲れた顔を見て苦笑した。
「怖かった?」
「怖かったよ!!」
間髪いれずに答え、まだ潤んだままの目でタカ丸が兵助を見つめた。
 
「あー…ほんと俺すっごい頑張った」
「まぁ、そうだな。頑張った」
あの様子を見れば、兵助もそう言わざるを得なかった。
偉い偉いとタカ丸の頭をもう一度撫でてあげるが、タカ丸は不満げに口を尖らせた。
「そんだけ?」
そう言いながら、兵助にすっと近づいてきたタカ丸の顔を、唇が触れ合う寸前のところで押し返した。
 
「調子のんな!ここどこだと思ってんだ馬鹿!」
人が少ないとはいえ病院である。
兵助は頬を少し赤くしたまま小声でタカ丸をしかりつける。
「けち」
タカ丸はそういいながら、隣の兵助の肩にもたれかかった。
兵助の胸元に甘えるように擦り寄る。
「ちょ…ッ!」
「いいじゃん、これくらい、ご褒美」
上目遣いで、タカ丸がそうねだる。
子供みたいなのに、まるで子供じゃない。
普段ならそんなおねだり却下する所だけれど、
 
「…仕方ないなぁ」
 
今日は特別、ご褒美だから。
そうやって甘やかす自分は多分タカ丸以上に甘い。
分かってはいるけど、こうも犬みたいに懐いてこられたら愛でたいと思うのも当然ではなかろうか。
 
兵助は目立つ金色の後髪を撫でてやった。
 
 
 
 

 

 
 
***
この前言ってきたんですよ、予防接種。
ってことで実体験ですよ、体温計の温度とか!
私は言うこと聞かずにもみもみしなかったので、まだ腕が痛いです…
血がどばーっと噴きだしたのも実体験。
あん時はほんとびびりましたよ!
別にトラウマとかにはなりませんでしたが…むしろ注射打たれるときはガン見です。
看護婦さんに「…え、見て大丈夫ですか?」といわれる位ガン見します。
 
ていうか甘くなったかな!?
後、なんとなく注射にびびるタカ丸が無意識にエロかったらいいなぁという妄想。
久々知はそういう無意識な色気に弱かったらいい!無自覚で目がいっちゃうみたいな!むっつり助平!
でも犬っぽく甘えられるのも嫌いじゃないんだよ!