保健室に急な来門者が来ることは当然だが、
如何せん急すぎやしないだろうか。
「先輩は、」
保健室で薬を作る伊作の背中に、ぐっと圧力が加わった。
唐突だったが振り返りはしなかった。
四年生の綾部喜八郎であるということは、声と気配と行動からして明らかだ。
伊作は後からしがみ付く綾部を気にしていないというように振舞いながら、薬の調合を続けた。
「空を見るのはお好きですか?」
綾部の言葉は、いつも突飛である。
かれこれ、一ヶ月ほどこうやってなにやら絡まれることが多くなったが、未だに伊作は慣れない。
彼の言動にも、こうやって好かれていることも。
「好き、かな」
質問にはちゃんと答える。
伊作の質問の答えに満足したのか、それとも不満だったのか。
綾部は無言で伊作の体から離れた。
それから静かな足音をたてながら保健室から出て行った。
ここ一ヶ月綾部は最低でも三日に一回のペースで落とし穴にはめ、二日に一回は保健室まで足を運ぶようになった。
先ほどのように唐突に話しかけられることもあれば、擦り寄ってきたり、目線を合わせるだけの日もある。
つまり、実習などで会うのが不可能な日以外は、基本的に毎日顔を合わすようになっていた。
伊作自身、別に綾部のことを嫌っているわけではなかった。
落とし穴にはめることは多くとも、それほど不快に思っているわけでもないし、
むしろ保健室にやってこない日には、なにかあったのかと心配になるくらいだった。
しかし、
「愛させてください」
と言ったあの綾部の表情が脳裏にこびりついて離れないことに違和感を感じていた。
切ない、と思わせるあの表情と掠れた声。
今でも寸分の狂いなく、思い出せてしまう。
伊作は自分より2つ年下のその言葉の真意を、測りかねていた。
あれから綾部から伊作への愛の告白めいた言葉はない。
まるであの言葉も全て忘れたほうがいいのかと思わせるほど、色めいたことは何も無かった。
(綾部が、何を考えているのか分からないけれど、愛するなんて、まだ、早いよ…)
頭の中でそう呟いた瞬間、はっとした。
ぼんやりしすぎていたためか、入れる薬を間違えた。
伊作は慌ててどうしようかと考えたが、打開策は見つからない。
仕方なく、作りかけの薬を紙に包んで捨てて、大きなため息をついた。
失敗した薬を調合しなおし、片づけを終えて保健室から出たのはすでに夕刻だった。
伊作は手を洗うため外の井戸へ向かった。
夕飯はなんだろうなぁ、腹が減ったなと、そんなことをぼんやり考えながら。
その時、一歩踏み出した片足の着地点の土が柔らかいことに気付く。
しかし気付くと同時に体の中軸は傾き、地中に落ちた。
油断していたため、あっけなく尻餅を着いてしまった。
土の冷たさが制服越しに伝わる。
「あーもう、やられた!」
思わず叫ぶと、ふと上から影が伸びてきた。
夕日に長細くのびた影は、やはり誰のものか簡単に分かった。
「相変わらず作れば必ずはまってくれますね」
「綾部」
ため息をつきながら見上げると、そこには大きな穴から顔をのぞかせる綾部の顔。
伊作は、目を見開いた。
唇の端をほんのすこし吊り上げ、猫目をふっと細めたその顔は、
思わず見惚れてしまうほどに美しかった。
「先輩、綺麗でしょう」
「…え?」
綾部の表情は陽の逆光で翳っていたが、その表情がいつもと異なる薄い笑みを浮かべていることは分かる。
それに惚けていた伊作は、思わず間抜けな声を漏らした。
「空、綺麗でしょう?」
そう言われて気付く、綾部の後ろに広がる空。
黄色と紫と朱色と橙色と黒と紅が滲んだ天幕。
綾部はこれを見せるために、穴を掘ったのだろうか。
自分のために。
「ね?」
綾部は伊作に向かって嬉しそうに微笑んだ。
頬が土で汚れている。
綺麗な肌がもったいないと思ったが、本人は気にしている様子はてんでない。
ただ満足げに微笑んでいる。
「先輩」
それから、ぼんやり見上げたままの伊作に手を伸ばした。
穴掘りで鍛えているだけあり、筋肉質な腕。
しかし、指は長くて、骨は細い。
「綾部、」
綾部の手を掴み、そのまま自分の手を引っ張った。
その時の綾部の驚いた顔が一瞬、でもはっきり見ることができた。
勢いよく、綾部の体は伊作の上に落ちてきた。
綾部の長く波打つ髪が、伊作の胸元に埋まる。
綾部はゆっくり、不思議そうに目を見開いたまま伊作を見上げた。
それに伊作は微笑み返す。
「綺麗だ、とても」
空を見上げ、伊作は囁いた。
見惚れるくらいその空は美しかった。
でも、
それよりも美しいと思ったのは
***
あれ、なんか善綾っぽい気がしてきたけど、違いますよ!
断じて綾善なのです!
でもやっぱり先輩だしね!年上だしね!(煩い
綾部は分かりにくく献身的だと思います。
落とし穴は全て伊作使用なのですよ………ねっ!←
あーでも、どうにも糖度が低い…綾部マジック(自分のせい
まだ少し繋がりそうなんですけど、
まとめて「やくも蜜」のコウさんに捧げます!というか押し付けます!