「留さん」
ため息混じりに障子の戸を開ける音に振り返ると、
同室の友が見慣れたぼろぼろの姿でたっていた。
「・・・綾部か」
食満留三郎は、土埃にまみれた同室の伊作を見て苦笑した。
もとより彼が何事かに巻き込まれるようなことは珍しくはなかったが、
ここ最近その元凶となっているのは四年の綾部喜八郎だと知っていたからだ。
「まぁねぇ」
困ったように笑う伊作に、怒っている様子は見られない。
むしろ楽しんでいる、ような。
「六年なのに情けないな」
「だってそんなに常に気をつけている訳じゃないしね…。
それに、綾部、落とし穴掘るのさらに上手くなってるんだよなぁ」
だから仕方ないんだ、と伊作は笑った。
それを見て留三郎は、伊作の不運のせいもあるんだろうけど、と内心呟いた。
「それにしても最近楽しそうだな。
お前綾部に惚れているんじゃないのか?」
「……え?」
「両思いにはなっていないのか?」
不思議そうに聞くと、伊作は目を泳がせた。
その反応になにやら訳ありげだと感じたが、そこは興味を引かれずにはいられなかった。
追求する目で促すと、伊作は座り込んで、んーとなにやら唸りながら首をかしげた。
「綾部は、私のこと好きなんだろうか?」
しばらくの沈黙の後、急に呟いた伊作の言葉がこれだった。
どこか不安げに、目をそらしながら言った言葉に、留三郎は目を大きくした。
「あれのどこをどう見て、お前を好きじゃないと言えるんだ?」
思わず聞き返すと、伊作はまた低く唸った。
「なんていうか、綾部は難しいんだ。
なにを考えているのか、ちゃんと分かってあげられていない気がする」
綾部のことをよく知らない留三郎はもちろんだが、伊作までもそういう程、綾部が分かりにくい人物だというのは納得できる。
しかし、留三郎は伊作の言い分にはどうも納得しがたかった。
「最初に言われたんだろう、愛の告白」
一ヶ月ほど前の出来事は、全て聞いていた。
そのことについて言うと、また更に、伊作は難しそうな顔で眉をひそめた。
「でも、あの時は弱っていたし、あれから何も言われないし。
もともと一度心を開くと、依存しやすい子だし、懐いてくれているだけなのかもしれない。
好かれているのか、よく分からないよ」
そういって重々しくため息をつく伊作は、辛そうな顔をしていた。
それを見て、留三郎はどこか安心したように笑った。
「そうか。
綾部のことは俺もよく分からないけど、
お前は綾部に惚れている事はよく分かったよ」
「・・・ぇ?」
慌てて聞き返す伊作の頬は赤い。
なぜ急にそんなことを言い出すのかと、慌てて騒ぎ出したが、留三郎はなにも言わない。
ただ、じきに分かるだろうと内心呟き苦笑するだけ。
「立花先輩」
委員会に遅れてきた後輩が、名前を呼ぶ声に振り返ってみれば、
予想通り、土まみれの姿がそこにあった。
「伊作か・・・」
作法委員長立花仙蔵は、ふぅっとひとつ息をついた。
後輩の綾部がこのところ伊作を気に入り、かなりの頻度で伊作を落とし穴にはめていることはよく知っていた。
むしろ、ここ最近の標的は伊作のみだ。
「あいつを落とす落とさんは勝手だ。
むしろ落とせ。
だが、委員会にまで遅刻するとはな」
朝から備品の整理などで忙しかったと言うのに、ようやく現れたのは昼過ぎ。
伊作とのことをなにかと応援してる仙蔵と言えど、さすがにご立腹だった。
「すみませんでした」
「今度からは気をつけろ」
綾部ははい、と平淡な声で返事をした。
終わったものは仕方が無いので、仙蔵もそれ以上叱りつけることはしなかった。
ただ、代わりに「茶でも飲んでいけ」と綾部を強引に留まらせた。
「どうだ、楽しいか?」
「・・・はい、とても」
お茶と茶菓子を出しながら問いかけると、綾部は珍しく唇の端を持ち上げ、嬉しそうに笑った。
それに仙蔵は満足気に笑う。
可愛い後輩がここ最近楽しそうで、仙蔵もご機嫌なのだ。
「伊作の反応はどうだ?」
茶菓子を一口で丸々放り込む綾部に尋ねてみる。
綾部はむしむしとそれを噛んで、茶と一緒にそれを流し込んだ。
味わう気が無いのかと苦笑しながら、眺めていると、綾部が急に口を開いた。
「さぁ、分かりません」
「分からない?」
その答えに仙蔵は首をひねった。
綾部は気付いてはいないのか、と思いながら。
「先輩は何も言いませんから、私のことをどう思っているのか」
もうひとつ、皿の上に置かれた茶菓子に手を伸ばしながらそういうと、
仙蔵はその手を叩いて「それは私の分」とたしなめた。
「喜八郎、お前、伊作に答えを求めたか?」
自分の分の茶菓子を一口、味わいながら仙蔵は問いかけた。
綾部は首を傾げた。
「お前のことだ。
答えを求めるのを忘れているんじゃないのか?」
ちょうど、今日委員会があったことも忘れていたように。
仙蔵が皮肉めかしく微笑みながらそういうと、綾部はふと目を見開いた。
目からうろこ、そんな様子で。
答えを求めずにも、既に答えは知ってる、ただ本人同士が気付かぬだけで。
仙蔵はそう思いながらも、告げる気はなかった。
「ごちそうさまでした」と言いながら立ち去った後輩を見つめながら、
ああおもしろいことになりそうだと笑みを零すのみ。
「先輩」
よく知った声が聞こえた。
振り返ずとも誰かは分かったが、とりあえずひとつ深呼吸をしてから伊作は振り返った。
「綾部」
顔が赤くなってはいないだろうか、と気にしながら名前を呼ぶ。
留さんが気付かせてしまうから、あんなにはっきり。
先ほど同室の友から指摘されたことを思い出し、やはり赤面しそうになる。
「先輩、ねぇ先輩、来て」
綾部は俯いたままもう一度伊作を呼んだ。
どうしたのかと思った伊作が綾部に近寄ろうと、一歩、二歩目を踏み込んだとき。
地を踏んだ気がしなくて、浮遊感が襲う。
叫び声をだす間もなく、深い穴に落とされた。
こんなこと誰がしたかなんて一目瞭然。
深い穴の中で伊作は、声をあげて笑った。
「先輩?」
「・・・見事に引っ掛けたな!
あーもう、本当に驚いたじゃないか!」
腹を抱えて笑う伊作に、綾部は不思議そうに眉をしかめた。
伊作はもともと怒る気もなかったが、
自分でも驚くくらい素直に引っ掛かってしまい、呆れも通り越してしまったようだ。
「先輩は落とし穴好きなんですか?」
「綾部のだったら、嫌いじゃないよ」
まだくつくつと笑いを堪え切れていない伊作は、立ち上がって着替えたばかりの服の土を払いながら答えた。
「それでは、
私のことは好きですか?」
綾部のいつもと変わらない声。
それを聞いた伊作から笑い声が消えた。
きゅっと真面目な顔で、綾部を見上げた。
空を縁取る穴の向こうに、綾部がしゃがんで顔をのぞかせている。
糸のような髪が穴の中に落ちてくる。
(綺麗な顔をしているなぁ)
と思うと同時に、その顔がぼやけるくらいに近づいてきて、
口付けをされた。
伊作は不思議と慌てもしなかったし、怒りも照れも感じなかった。
その口付けはほんの触れるだけ、一度押し当てられただけで、綾部はすぐに穴の中に乗り出していた体を元に戻した。
その表情に満足そうな笑みは浮かんでいない。
綾部は待っている。
伊作には今なら、手に取るように分かった。
綾部がどんな言葉を欲しがっているか。
「綾部、 好きだよ」
その言葉と同時に、綾部の体が穴のなかに降ってきた。
さすがに慌てて綾部の体を受け止めたが、急な衝撃に尻餅をついて倒れてしまった。
「綾部・・・頼むから怪我をするようなことはしないでくれ」
伊作は、自分の膝の上に乗っかっている綾部の安全を確認しながら言う。
そういえばほんの数日前にも同じような状況になった気がする。
前は美しい夕刻だった。
「先輩」
「うん?」
「愛してます」
顔をあげた綾部は、まるで自分専用だと言わんばかりの見たことのないような美しい、満面の笑みで、
それからまた何かを求める目で伊作を見上げた。
その何かが何かなんて、簡単に分かる。
早すぎることなどなかった。
そう伊作は一ヶ月前から今までの自分の考えを否定する。
「愛してるよ」
期待にこたえたその言葉と同時に、伊作の唇が綾部によってまた塞がれた。
どちらともなく手を結ぶ。
伊作の長く器用そうな指、綾部のたこのできた細い指が絡む。
頭の中でなんども重複するお互いの誓いのような言葉に酔いしれながら、
繋いだ手は解かれなかった。
***
仙蔵お父さんと食満さんはどこかでこれを見てるはず(笑
ない!糖分がない!
あう、3話続いてようやくこれ・・・つくづく文才の無さが悲しいです。
勝手に少し修正加筆する可能性ありますが、まとめでコウさんに押し付けたいと思います(最悪
ごめんなさい、返品可能です!投げ捨ててください!
もっとがっつんがっつん攻めの綾部が書きたい・・・