今日は授業で火薬を使う学年が多く、夜に整理のため臨時委員会が開かれた。
これまでもこういうことはなんどもあったため、今更とくに珍しいことではない。
いつも通りの在庫の確認など簡単な作業だけだったが、今日はあの目立つ委員がひとりいない。
転入生と言ってももう数ヶ月。
やはりもとより人手の足りていない火薬委員会にとってはひとりの戦力だったのだと認識した。
騒いで、なにかやらかして、後輩にすら教えられるような年上とは思えない人、だけど。
兵助は内心そんなことを呟きながら、在庫表を確認する。
それからこっそり月の位置を確認し、後ろで作業している後輩達に声をかける。
「よし、今日はもうこれでおわりだ。
伊助も三郎次もおつかれ、帰っていいよ」
「はーい」
「では、失礼します」
先輩は明日テストなんですって、と急ぎ足で長屋へ帰る二年生の背中を見て伊助がいった。
ああ三郎次はまじめだからなぁと言うと、僕は暇なんでもう少し手伝いますと言われた。
まだ在庫の確認が全て終わっていないことに気付いていたようだ。
一年なのに敏い子だなと思って苦笑が漏れた。
「・・・そうか、すまないな」
「いいえ、いつもなら気付いてもタカ丸さんがいいよって言ってくれるから甘えちゃってるんですけど、
やっぱり久々知先輩でも一人じゃ大変ですもんね」
「斉藤が?」
いわれてみれば、後輩に気を使って先に帰らせたときでも、斉藤は最後までつきあってくれた。
なんとなく自然に最後まで一緒にいることが多かったものだから、当然のように思っていたことに気付く。
「でも、タカ丸さん今日はおつかいなんですってね。
小松田さんが、綾部先輩と一緒に出発したって言っていました」
「・・・綾部と?」
おつかいにいくと言うのは聞いていた。
でも、てっきり一人で行くものだと思っていたものだから、思わず眉をひそめた。
一年ならまだしも、届け物程度の忍務にわざわざ2人も四年生を行かせる必要はない。
しかもタカ丸の知り合いだと言っていたのだから尚更。
もしかしたら、思った以上の忍務を与えられているのだろうか。
そう思案しているうちに、筆がぴたりと止まっているのに気付く。
「考えすぎだな・・・」
兵助のその呟きに伊助は顔を上げたが、もう彼は筆をすらすらと動かしていて
「タカ丸さんのこと心配なんですね」とは言いにくくなって結局最後までその言葉を口にすることは無かった。
一方町で一通り服を見立ててもらい、2人が出発してもう半日以上たった。
「もうすぐつきますね」
「んー」
暗くなった空と曖昧に輝く月を見上げながら綾部が呟いたが、タカ丸の返事はどこか心ここにあらずだ。
疲れたのだろうかと隣を見ると、彼は顎に手を当てて何か思案しているようだった。
「・・・なにか?」
じっと綾部の頭からつま先までタカ丸は視線を行き来させた。
まだ格好に不具合でもあるというのか。
見立ててもらった青の目立つ着物を着たし、彼の言うとおりにしたつもりだが。
そう思いながらも綾部はおとなしく直立していた。
タカ丸は最終的に綾部の顔をじっと見つめ、やがて口を開いた。
「綾ちゃん」
「はあ」
「きみかわいいね」
真面目な顔してなにをいうのだろう。
女でも口説いているつもりか、と眉を顰める。
「・・・うん、やっぱり髪を下ろした方がいい。
できればなるべく殿の前では顔を伏せてね」
苦笑しながら言ったその言葉の意味が分からなくて問うと、彼は背を向けながらじき分かるよと言った。
城はもう、すぐそこだった。
「よう来たな。 随分久しいじゃないか、タカ丸よ」
「ご無沙汰して申し訳ありません」
城まで行くと、2人はいとも簡単に迎え入れられた。
さらに奥の部屋まで通され、今は殿の目の前に座っている。
年は30の中ほどくらいの男で、顔立ちはなかなかに整っていた。
髪結いをわざわざ呼びつけるだけあり、その髪は長くて多く、わりと艶めいている。
長く伸ばした髭が口元を緩めるたびに揺れて動く様子を眺めながら、綾部は内心腹を立てていた。
その理由は、その男の目つき。
「半年も音沙汰なしとは。
父上殿に言っても、忙しいとの一点張りで困ったぞ」
首をふってため息まじりに嫌味を言うが、その目は嬉しそうに細められた。
色を含む、好意的な欲望の目。
(汚らわしい)
舐めるようにタカ丸を見つめるその男に、綾部は今にも殺気がでそうなのを必死に堪えた。
腹立たしいことこの上ない。
綾部にとってタカ丸は大事な友人である。
もともと必要以上に深く人を関わることをしない、綾部はそういう人間で、
そういうところを視野が狭いとたまに自己嫌悪になることもあるが、それはともかく。
心を許す貴重な友人であるタカ丸を、穢れた目で見るその男のことを綾部が気にいるはずなど無かった。
それでも殺気を出せば、城にいる部下に気付かれるかもしれない。
綾部は、タカ丸に言われた通り終始顔を伏せていた。
城に入る前に髪を下ろしておいてよかった、歯を食いしばりながら心の底から思う。
綾部はとなりでにっこり、いつも通りにタカ丸が笑ったのを感じた。
いつもの声が聞こえてくる。
「ええ、じつは半年前にやっと一人前に認めてもらえて店を出す許可をもらえたんです。
でも同じ町で、親子で客の取り合いなんて無粋でしょう?
だから少し郊外に越したんですよ」
「それならわしに連絡のひとつでもすればよかったものを。
店を出す金ならだしてやったのに」
「だって殿はいつも俺によくしてくださいますし、これ以上迷惑をかけるのも嫌だったので。
お心使いはとても嬉しいです」
そんな嘘八百よくもまあすらすらと出るもんだと、綾部は会話を聞きながら舌をまいた。
実際、忍術学園で忍者していましたなんて素直に言えるわけは無いが
ここまで上手く話を作るなんて、と驚いていた。
殿はタカ丸の言葉に嬉しさ半分つまらなさ半分という感じだったが、それ以上は言わなかった。
そして、タカ丸の横に座っていた綾部に目をむける。
綾部は視線に気付かないふりをして、顔を伏せたままにしておいた。
「それは誰だ?」
「この子は喜八郎と申しまして、俺の弟子です。
店を出すときに連れてきたんです。
腕はとてもいいんですけど、ちょっと人見知りが激しくて…。
髪結いとしては致命的ではあるんですけど、一応将来有望かなぁと思っています」
にこやかにタカ丸がそう紹介すると、綾部もその設定通り、気恥ずかしそうに伏せ目がちに礼をした。
その様子、綾部の体を見つめる男の目を盗み見れば、先ほどと同じ色が滲んでいる。
どうやら生粋の男色家のようだ。
(この下衆…)
内心吐き気がするような思いだったが、綾部は大人しくまた顔を伏せた。
「お疲れさまー」
「……最悪ですよ」
殿との挨拶を終え、女中に案内されて行き着いた部屋に着くと、タカ丸が声を潜めて言った。
綾部は舌打ちして素っ気無く呟く。
タカ丸は苦笑して、それから持っていた髪結いの道具箱を下ろした。
その様子は至って平然でいつも通りだった。
綾部はタカ丸の前に膝を抱えて座り、その表情を伺った。
「なぁに?」
その視線に顔をあげ、タカ丸は首をかしげた。
綾部は口を開き、この疑問を口に出したら後悔するだろうかと思い、一瞬留まった。
しかしその理性よりも先に、ぽろっと言葉が零れて落ちた。
「なにも、思わないんですか、あんな目で見られて」
言ってからやはり、しまったと思ったが、それでも一回言ってしまったら仕方ない。
綾部はタカ丸をじっと見詰めた。
そのタカ丸は一瞬きょとんとして、それから苦笑いを浮べた。
「殿が俺を好いているってこと?
あの人の男色は有名だもの、知ってるよ。
なかなか手を出さないところを見ると、俺にはわりと本気みたいだけどねぇ。
だから綾ちゃんはかわいいから下を向いておくよう言ったでしょう?」
まぁでもやっぱり気に入られちゃったみたいだねぇと言って、笑う。
その顔は学園にいるときから見慣れている、いつもなら日向が似合うと思えるはずのものだった。
しかしこの場には不相応な気がして、思わず目を逸らしたくなった。
「…では、なぜ、あの人に会えるのですか?」
「なぜって嫌いじゃないから、殿のことは」
一生懸命になって目線を合わしたまま問いかけた質問の答えに、綾部はとうとう目を伏せて俯いた。
嫌な想像が頭をよぎる。
それこそ、吐き気がするようなひどい空想。
タカ丸は綾部の顔を覗き込み、それに気付いたらしかった。
「あの人には抱かれてないよ」
綾部は弾けるように顔をあげた。
タカ丸は目を細め、眉をすこし寄せて困ったように笑っていた。
声音には大きな起伏がない。
普段の雑談や挨拶となんら変わらぬ、朗らかな声だった。
「まぁ昔なら、手を出されりゃべつに抱かれてやっても抱いてあげてもいいって思っていたんだろうけど」
タカ丸は再び笑う、いつものように。
「でも今は無償でなんか抱かれてあげない。
だってこの体はもう忍としてのひとつの武器だもの、ねぇ?」
その笑顔が綾部には不可解でたまらなかった。
タカ丸の笑みは、日向にあるからこそ輝き、映えるはずだったろう。
なのになぜ、なぜこの人はこうも上手く笑えるのだ。
この闇色のどろどろした世界で。
まるで、それは立派な忍者のように。
タカ丸が道具箱からいくつか髪結いの道具を取り出した。
「綾ちゃん、さぁおつかいしよう?
俺は今からあの人の所へ行って、少しお話をしてくる。
だから綾ちゃんは城の中の捜索をお願い」
ね、と表情を緩めたまま与えられた忍務の役割分担を改めて説明する。
綾部は頷くこともできず、髪結い道具を持ってするりと隣を通り過ぎるタカ丸を背中で見送るだけだった。
彼の足音が聞こえる。
どこかそれはわざとらしく感じた。
***
タカ丸は町にいて世間については忍術学園の誰よりも知っているし、
色恋沙汰については誰よりも経験豊富なのかと。
その上忍者の血を引いてるから、才能もありそうだなと。
オリキャラすみませんでした!