爽やかな風が吹き、少し涼しい日だった。
兵助は荷物を抱えながら町中を歩いていた。
火薬委員会の管理の当番を土井先生に頼みに言った際、代わりに買出しを頼まれてしまったのだ。
町が嫌いと言うわけでもないが、やはり人ごみは落ち着かない。
煩わしい足音は忍術学園の五年生ともなればそれほど頻繁に聞くことはないので雑踏に酔いそうになる。
少しだけ土井先生を恨みながら、頼まれたものはすべて買ったなと確認して学園に向かっていると、
途中で小さな団子屋が目に入った。
今日は委員会があるし、皆にお土産を買って帰ろうか。
それほど甘味が大の好物という訳ではない兵助でも
ここ最近の委員会活動での疲れがたまっていて、甘味が無性に食べたくなっていた。
(きっと伊助や三郎次が喜ぶだろうな)
嬉しそうに笑う顔を思い浮かべながら、兵助は店に入っていった。
「10本包んでもらえますか」
兵助の言葉に、愛想の良いおばさんが笑顔で返事を返す。
包んでもらいながら、少し腹が減ったなぁと思い、唾をのんだ。
まあ、急いで帰る必要もないし。
少し考えてから、兵助は「あと、別で団子2本ください」と付け加えて注文した。
窓際の席に座り、出されたお茶を飲んだ。
一口団子を口に入れると、あっさりとした甘さが広がる。
しつこくなくて、甘党ではない兵助にも食べやすくて美味い。
包まれた団子を眺めながら、10本でよかったかなと少し考えた。
(つい、5人分、買ってしまった…
まぁでも余ったら伊助と三郎次にあげればいいか)
今、委員の1人は忍務に出かけている。
忍務の内容は知らないが、4年生ふたりをつかいに出すくらいだし最初思っていたよりも難易度は高そうだ。
(大丈夫なのかな、あの人)
余計な心配だと思いながら浮かんだのは、愛想のよくて、悪く言えば締まりのない笑った顔。
良い意味で言えば明るくて見ていて引き込まれるようだけれど、どちらにしてもやはり忍には向かない。
笑顔だけじゃなく、顔立ちも声も性格も目立って人好きするものだし。
4年に編入してきたけれどまだまだ知識も浅い。
体力だって多分3年生ほどないだろう。
斉藤タカ丸というその人が嫌いというわけではない、むしろ好ましいと思っているが、
どうも忍者になれるとは思いがたかった。
委員会に来るたびに増えていく手の傷とか、一月前よりも重い壷を持てるようになったとか、
彼の真面目なところや努力はちゃんと知っているけれど。
髪結いをしていたのだから、そのまま町にいればよかったのに。
そうすればきっとこれから知る羽目になる血の臭いや肉を斬る重みも知らずにすんだのに。
兵助はそう思ってならなかった。
(…あ?)
真昼間の平和な町中には似つかわしくない思考を中断させたのは、窓の向こうに見えた目立つ2つの人影だった。
なぜこんなところにいるんだ。
目的地は遠いと言っていたはずなのに。
「ねぇ、綾ちゃん休んで行かない?」
「もうすぐ学園ですよ」
「だって団子食べたいんだもん、だめー?」
「いいですけど、奢ってくれるなら」
壁一枚向こうから斉藤と綾部の会話が聞こえてくる。
嬉しそうに「奢らせてもらいます」と笑う斉藤が言って、2人は団子屋の外の椅子に腰掛けた。
店から顔を出したおばさんに、斉藤が団子を2本ずつ注文する。
兵助はとっさに気配を消していた。
(忍務の途中なら邪魔をするのも、なぁ…)
盗み聞きをするつもりはないが、店からは出るに出られないし、かといって決まりが悪い。
どうしたものかと友人の悪い癖がうつったかのように頭を抱えだした兵助の耳に、聞きなれた声が侵入してきた。
「流石に寝てないし疲れたねぇ…」
「帰ったらとりあえず寝ます」
「でも、学園長に報告しなきゃ」
「後回しです、そんなの」
綾部の言葉に斉藤がえーと声を上げた。
兵助からは背中しか見えないが、いつものような笑い顔を浮べているんだろうと容易に予想できる。
2人の会話からして忍務はすでに完了したらしい。
それなら隠れる必要もないのだが、兵助は団子をほお張りながら、いけないと思いながらも少しだけ聞き耳を立てた。
今更出て行くのも気まずいような気がしたし、やはり後輩がどんな忍務を果たしたのかなんて気になるではないか。
そんな言い訳を頭の中で繰り返しながら息を潜めた。
「今頃城は騒ぎになってるんじゃないかなぁ…何もいわずに帰ってきちゃったし」
「構いませんよ」
はっきりと不機嫌そうな声で、綾部が言った。
それから斉藤の方へ目線を向ける。
兵助から覗けた横顔はまっすぐに斉藤を見詰めていた。
「…名残惜しいのですか」
綾部は眉を少し寄せた。
彼はいつも無表情だと思っていたものだから、微かだがその悲しげな表情に兵助は驚いた。
そして、そんな顔をさせたのが斉藤だということにも。
「そうだねぇ…」と斉藤は晴れ渡る空を見上げながら呟く。
しばらく唸りながら考えていたようだったが、斉藤は急に口を開いた。
「あの人、昔は髪質悪かったんだよね…すっごい枝毛とか多かったし。
でも俺に会ってから髪のことを気にかけてくれるようになったし、綺麗になってくれて。
髪結いとしては嬉しいよねぇ。
これからもっと綺麗にできたから、敵同士の立場になって、もうそれが叶わないのは残念だなぁ」
懐かしむような穏やかな口調だが、忍ぶように声は抑えられていた。
「好いてくれていたことも嬉しかったし、嫌いではなかったよ」
その斉藤の言葉に、綾部はきゅっとさらに眉をよせる。
兵助はだいたいの忍務の内容が予想できた。
髪結いとして顔の広い斉藤なら、昔の客で学園の敵になる人物がいてもおかしくはない。
おそらくそういった人物の調査かなにかだろう。
それにしても、なにを甘いことを言っている。
忍者なんてしてれば、いつ誰が敵になるか分からないと言うのに。
(馬鹿な奴)
やっぱり向いていない。
日向で輝く金の髪を眺めていると、急に斉藤が綾部に顔を向けた。
横顔が目に入る。
口の端を吊り上げ、目はすっと細められていて、その顔は確かに笑っていた。
しかし、違う。
違和感を感じるというよりも、まるで別人かと錯覚してしましそうな笑み。
ぞくりと、身体の裏側を何かで引っ掻かれたように寒気を感じた。
笑みを湛える唇が開かれた。
「だけど、名残惜しいとは思ってない。
俺は忍務のためならあの人の気持ちを利用するつもりでいたもの。
無償じゃ抱かれてあげないけど、忍務としてなら構わないと思っていたし。
そのためなら髪結いっていう手段だって活用する」
鼓膜を振るわせる声に抱いたのは恐怖に近いものだった。
後輩に、しかも忍たま歴わずか数ヶ月の素人に等しい人に末恐ろしいと思わされた。
その横顔がいつもとあまりにもかけ離れた笑みを浮かべていて目が離せない。
何故そんな顔ができる?
まるでこの世界に浸っているような。
綾部が下唇を噛んだのが、視界の端で見えた。
驚いてはいない、しかしまだ受け入れるには不慣れそうで、顔をしかめていた。
「いわないでください」
俯いた綾部の長い髪が涼しい風にゆれる。
まとまりのある波打つ髪が斉藤の方に流れていった。
斉藤も顔を俯かせた。
表情が長い前髪に隠される。
「ごめんね」
細い指が綾部の髪の一束を絡め取った。
人差し指に纏わりつく細い髪を優しく撫でる。
「そうだね、まだそんなことしないって約束したもんね。
綾ちゃんごめん、ごめんね」
斉藤が情けない、甘えるような声で謝る。
首を斜めに傾ける斉藤の表情が金糸のような髪の間から覗けた。
火薬壷を落としたときと同じような表情。
補習で遅れて委員会に現れたときのような申し訳なさそうな顔。
いつもの、よく知った斉藤タカ丸だ。
「もう、いわないでください」
綾部もその顔に安心したのか、そう言った。
「うん」
頷いた斉藤の横顔は微笑んでいた。
あの、日向が似合う笑顔で。
綾部も微笑みを返した。
微かなものだったが、それでもやはり見慣れない顔で、それを引き出す斉藤はすごいなと頭の端で考えた。
「帰りましょう」
「そうだね!ここのお団子美味しいし、お土産にいくつか包んで貰おっと」
斉藤の明るい声が聞こえた。
そのあとおばさんにいくつか団子を包んでもらい、二人の足音が遠のいていくのを確認してから、
兵助はどっと大きなため息をついた。
自分でも思った以上に気を張り詰めていた。
忍務の内容を盗み聞きしてしまったし、やはり悪いことをしてしまったと兵助は顔を顰めた。
ああ、それにしても。
(あの顔が頭から離れない…)
斉藤の話を聞いて、何を甘いことを言っているんだと思った。
しかし、あの表情はなにも知らない町人らしい顔ではなかった。
するどい刃物、鋏ではなく刀のような鋭意な光を帯びた目の色をしていた。
髪に嬉しそうに触れている目とも違う、委員会の時に見せるものでもない。
まるで、あれは忍の目。
そしてそれを隠すように上付けされた口元の笑み。
湯のみの中にわずかに残った茶に情けない顔くらいのしかめっ面が写っていた。
思った以上に後悔している。
(あんな顔見なけりゃ良かった)
そうすればひたすら、知らずにいれたのに。
あの妖しい笑みも、柔らかい口調の中に垣間見えた覚悟も。
心地よい風が窓の格子の間をすり抜けて髪をゆらす。
(ただのないものねだりだけど)
その髪や笑う顔に日の光を見て安心していた。
暗い影になることはないと、思い込んでいたかった。
斉藤の努力を知っているのに認めたくないなんて、と自己嫌悪に息をつく。
髪結いの顔も、委員会の時の後輩の顔も、さっきの見慣れない表情も、全て同じ斉藤のものだ。
分かっているのに、彼の日陰の顔を見たくないなんて。
(こんなの、間違った我侭だ)
なにも知らずにいれば楽だが、脳裏にこびりつく斉藤の顔を見てしまったからにはそうはいかない。
(もう、忍者になる覚悟をしているのか)
わずかな日数で、そんな覚悟ができる人間、そういない。
日向だけを見つめて日陰を覗くことを拒み、臆していたくせに、
ふつふつと湧いてきた感情は勝手な失望と期待だった。
無知だったのだ。
自ら飛び込んだ影の世界から、斉藤の日向の部分だけを見て、そこだけ見つめて満足していたから。
(なんだよ、何も知らないのは俺の方じゃないか)
兵助はそんな悪態をつきながら、
委員会で斉藤も持ってきて1人四本ずつ食べる羽目になるお土産を持って学園へ足を向けた。
(知らないままなんてそんなの癪だ。
あの笑った顔にはやっぱりまだ、甘えてしまいそうだけど、)
(俺はこのまま無知なままではいたくないし、いる気もない)
***
久々知も綾部も忍として自分のことを影だと思っていて、
だから光みたいなタカ丸を理想化して見て影の部分を怖がっているかな、と。
タカ丸はプロ意識高そうだから忍者になる覚悟とか心構えとか早いかな、と。
タカ丸も委員会休んじゃったし、ということで火薬委員会みんなのぶんお土産購入。
火薬仲良し!!
無知なのは誰?これでとりあえずおしまいです!
とにかくここまで読んでくださりありがとうございました!!