(ここは、どこだ…?
薄暗くて冷たい……ここは牢獄…?)
兵助が頭をもたげた拍子にガシャンと重たい音が響いた。
左腕が壁から垂れ下げられている太い鎖に繋がれているようだ。
反対の右手は緊縛されてはいないが、動かすことはできなかった。
試してみたものの、右肩に電流が流れるような痛みが走って思わず顔をしかめた。
どれくらい気絶していたのだろう。
緑の制服に赤黒い血が不気味に滲んでいる。
床に滴る血の量が、思いのほか多い。
このままろくに動けないと一撃でも喰らわされれば終わりだ。
そうでなくても出血多量か、放置されれば逃げられないのだから飢えて死ぬ。
(どうなっても結局…ここで終わりか)
諦めがいい訳じゃない。
死にたいなど微塵にも思っていないが、こうなれば仕方が無い。
忍者たるもの簡単に命を諦めるものではないと知っているが、
今兵助にあるのは重たい傷だらけの体、そして動かない両手。
授業で習ったことを思い出しながらも、この状況で生きるためには何ができるというのだ。
兵助は深いため息をついた。
(俺もこれまでだな)
仕方ない、自分で蒔いた種だ。
こうなったのも仕留め損ねた敵に後から切りつけられたからである。
あの時ちゃんと息を確認していれば、こうなることもなかった。
後悔か、反省か。
どちらにしても今更どうにもならないことを薄っすら考えていると、
ガラン
少し向こうで物音がした。
視界には捉えられないが、牢のあるこの地下室へ誰かが歩いてきたのだろう。
気配はひっそりと鎮められていて察知しにくいが、石の廊下を歩く高い足音が小さく聞こえる。
松明がぼんやりと照らす廊下に、長細い影が一本伸びた。
ゆっくりと一歩一歩一番奥のこの牢へ近づいてくるのを感じて、兵助は息をのんだ。
死ぬ覚悟はしたが、屈するつもりはない。
とうとうその足音と影がすぐそばまで来て止まったのを確認し、睨むようにそこにいた人物を見上げ、
兵助は、その人影に思わず目を見開いた。
「タカ丸…?」
格子の向こうの去年まで着ていた青い制服は、学園の後輩の証。
そして、これほど明るく人目を引く髪をした忍たまなど1人しか知らない。
その名を呼ぶと、そこにいた男は逆光で表情に影を落としながらも笑った気がした。
「わぁ…ひどい怪我だね…。
大丈夫じゃなさそうだけど、体は動かせる?」
タカ丸は日ごろからよく浮べている穏やかで人好きする表情で問いかけてくる。
何故か持っていた鍵を使い、牢獄の中へ入ってきた。
「お前なんでこんなところに…!」
怒鳴りつけようとしたら、しゃがみ込んでさっと手で口をふさがれた。
静かに、と小さな声で注意されてしまってから、そう言われるのも当然だと反省する。
あたりは敵だらけだ。
この地下でなにか大きな物音が立とうものなら、すぐに駆けつけてこられるに違いない。
「ありゃー…、この傷かなり深いよ。
残念だけどこれは跡残っちゃうかもしれないねぇ」
肩に顔を近づけながら、タカ丸は呟く。
口調に危機感はいまいち感じられないが、その声はいつもよりも低い。
痛そうと呟くタカ丸の金髪が目の前で揺れるのを見ながら、
兵助は未だに何故ここに斉藤タカ丸がいるのか分からずにいた。
問いかけようと兵助が口を開こうとしたら、タカ丸はすっと身を引き、なにやら袖口から取り出し始めた。
「牢屋の鍵はちょっと拝借できたんだけど、まさか鎖で繋がれてるとはね…。
あ、でも任せといて。
俺割りと手先器用だからさ、施錠の実技成績よかったんだ」
持ってて良かったぁと言いながらタカ丸はにっと笑って細長い銀の簪を2本取り出した。
だが、兵助にとってはタカ丸の手先の器用さも成績の良さもこのさいどうでもよくて、問題は何故ここにいるかだ。
「おい…」
「ちょっと待ってね~、すぐ外したげるから」
言葉を遮り、はぐらかす。
こういった話術は一年前から長けていて、流されそうになる。
しかし今回ばかりはそうもいかない。
「なんで、ここにいるんだ」
兵助が改めてさっきよりもしっかりとした口調で聞くと、
タカ丸の手が一瞬動きを止めて目線を鎖の鍵から外し、目を合わせてきた。
「助けに来たんだよ、兵助くん」
睨むような強い目つきで見上げられ、一瞬気圧された。
しかしそれも一瞬で、すぐに顔を俯けて視線を逸らして呟いた。
「夕方には帰るはずだったのに帰ってこないから」
「だからって来るなよ!お前には関係ないだろう!」
「関係ないけど」
つい声を荒げた兵助に反して、冷淡な声でタカ丸は言った。
「兵助くんに死んで欲しくない」
低い掠れるくらい押さえ込まれた声。
僅かに含まれている怒りの感情が汲み取れて、関係ないなんていい過ぎたかと後悔する。
そして、その言葉にまた違う、なにか胸騒ぎを覚えるようなものも含まれている気がして、兵助は眉を顰めた。
細い金属の擦れる音が響く。
施錠を始めてからほんの数分ほどでガチンと大きな音がして、錠が外れた。
手首の冷たい金属の温度がなくなり、兵助はひとまず息をつく。
重たい体で立ち上がろうとすると、
タカ丸に抱きすくめられるようにわきの下に両腕をまわされ、ひょいと体を持ち上げられた。
「足は動かせる?」
「あ、あぁ」
思った以上の腕力に兵助が少し驚いたまま返事をすると、タカ丸は安心したように笑みを見せた。
(…さっき、一瞬、懐から火薬の匂いがした)
火薬委員長の兵助が気付かないはずもない。
おそらくなにか爆薬を懐に忍ばせているのだと悟った。
兵助が派手な金色の頭を見上げると、タカ丸は「そう、良かった」と笑みを浮かべた。
「じゃあ走って逃げて」
「…は?」
「走って逃げれるよね?ていうか無理でも逃げて」
「おい…ッ」
「絶対に学園に帰るまで走り続けるんだよ」
タカ丸は長い前髪の奥で、目を細めた。
どこか自虐的な、諦めか覚悟を決め込んだような表情に、背中が粟立った。
冷や汗がこめかみの辺りから流れる。
「俺が囮になるから、そのうちに」
上辺だけ馬鹿みたいに明るい笑顔で、タカ丸が言った。
「そんなの…ッ馬鹿か…!お前も逃げろ!」
「そういう訳にも行かないでしょ。
2人で逃げると見つかる危険も高くなる」
タカ丸が言うことはもっともだ。
しかし、頼んでもいないのに助けに来られ、その上囮になるからそのうちに逃げろなんて兵助は納得できない。
「…それでも、だめだ!そんなことさせるくらいなら俺が…」
「兵助くん」
後輩に、しかもまだ一年間しか忍の世界を体験していないタカ丸には危険すぎる。
そう思って言った兵助の言葉は、肝心なところでタカ丸に遮られた。
遮断したその声は低くて聞き慣れない真剣な声で、兵助は眉を寄せてタカ丸を見上げた。
「俺ね、集団で実践するとき、いつも決まったポジションなんだ。
昔辻刈りしてて敵の攻撃を受け流すのも得意だし、一年間鍛えたおかげで体力もついたし、
今ならわりと学年の中でも足はかなり速い方だから」
わかるでしょ、とタカ丸の目が言っているような気がした。
分からない、知らない、知りたくもない。
それでも忍者としての勘なのか、すぐにタカ丸の言葉の意味が分かった。
「そんなの…ッ」
「囮は俺の役どころだよ、兵助くん」
はっきりといわれれば、もう腹を据えていることくらい分かった。
しかし、兵助はしつこく食い下がり、
「これは同級生相手の授業じゃない!お前に囮なんて…!」
そう言って正論をぶつける。
ここは敵だらけの本物の戦地で、なによりいざとなったら助けてくれる仲間も先生もいない。
こんな中にタカ丸を1人放って置くなど、最後にはどうなるか目に見えて分かる。
実力が無いとは言わないが、あまりにも不利だ。
「危険が高くても、2人でここから…ッ!!」
思わず大きくなっていた声をたしなめるように、タカ丸が人差し指を兵助の唇に押し当てた。
目を細めて、猫か犬かの獣に似た口元に笑みを浮かべる。
「俺のこの髪が、どれだけ目を引くか分かるでしょう?」
「!」
タカ丸は首をすこし傾け、唇に触れていた手を頬に移動させ、優しく宛がった。
兵助の目がタカ丸の髪を見てぐらつく。
「一緒に逃げるなんて、無理だよ。
俺の髪は闇には紛れない。
逃げられないから、ここに残って囮になる。
こんな金髪、囮には俺が一番のはまり役でしょ」
本人が自覚しているのかは知らないが、とうに泣きそうな顔をしている先輩に、タカ丸はほんの少し苦笑した。
「だから逃げて。
お願いだから、生きて帰って」
しっかりと頬に手を添えて、目線を逸らさせないようにしながらタカ丸は言い聞かせる。
兵助の長い睫毛が特徴的な目が、これでもかというほど見開かれ、薄い唇がぎゅっと噛み締められていた。
「さぁ、早く」
タカ丸はそう言って微笑み、頬から手を離した。
それから負傷していない左手を引いて、牢の外まで誘導していく。
「兵助くん」
声で急かして、うつむく兵助の背中をそっと押した。
それに一歩歩いてから、兵助は振り返った。
「帰ってきたら俺の髪一日好きにさせてやる」
「…え?」
唐突に兵助の口から出た言葉に、タカ丸は間抜けた声を漏らした。
「お前の好きなようにさせてやる。
だから、絶対に学園に帰って来い」
兵助はそう言い放つと、すぐさま踵を返してさっとその場から走り出した。
後で束ねられた強くて綺麗な黒髪が誘うように揺れて、影と共にすぐに遠ざかって行った。
静かな地下室に残ったタカ丸は、呆然としたままその背を見送り、先ほどの言葉を頭の中で反復した。
それから、壁に背をもたれてずりずりと座り込む。
(あぁ、もう、なんでそう人の覚悟を水の泡にしてくれるかなぁ)
髪をかき上げて、ため息交じりにタカ丸は困ったような笑みを漏らした。
どうしてくれるのだ、と内心兵助のことを恨めしく思いながらも、表情から笑みは消えない。
忍者だって1人の命。
それを無駄に捨てるなんてこと、タカ丸は微塵にも考えていない。
それでも、兵助のためなら全てを捧げて死ぬつもりでいたのに。
「ほんと、敵わないなぁもー…」
あんな条件だされたら、喜んで飛びつくに決まってる。
人の弱みを握るようなことして、全く、こうなったらのうのうと死んでなんかいられないではないか。
見事覚悟を打ち砕いてくれたあの黒髪の後姿を思い浮かべながら、息をついてゆっくち立ち上がる。
さて、もう大人しく死んでなんかいられない。
しぶとく最後まで生きて戦って逃げ回ってやる。
「兵助くん、待ってて」
きっとすぐ帰るから。
そうしたら君は一日俺のものだから、覚悟してね。
***
久々知バットにみせかけてタカ丸バット。
あんまりバットになってないですか、そうですね(諦め
年齢操作で久々知六年、タカ丸五年です。
流石に4年で助けにいくのは無謀かと思いまして…。
タカ丸が私の脳内でものすごく自己犠牲タイプの人間になってます。
救済したい・・・!