ふりふりとねこじゃらしのような黄金の髪が鼻先をかすめるような距離でゆれる。
長くて細い指が肌を撫ぜた。
くしゃりと、くせのつよい黒髪を指に絡ませ、揉むように前髪をかきあげられた。
呆れたように頭上を見上げると、そこにいた男は相変わらず締まりのない笑みを浮かべている。
「おまえな、鼻歌交じりに押し倒すか普通…」
「んん~?」
タカ丸はいつになく機嫌がいいのか、先ほどから鼻歌ばかり歌っている。
俺は好色な目つきで交えてきた視線をにらみつけた。
こちとら逃げられないようにがっちり肩に体重をかけられているおかげで背中が痛いんだっての。
ゆるやかな手つきで髪を弄ばれるのを感じながら、
今更だが滅多に昼間から来ることはないこの部屋を訪れたことをかなり後悔し始めていた。
実習があったというのは聞いていて、朝は見かけなかった紫の制服を昼間からちらほら見かけるようになったから、
とくに意味もなしにタカ丸の部屋に出向いてみた。
昼休みにとくにすることもなく暇をもてあましていたのもそうだが、
実習にまだまだ不慣れなタカ丸なら今頃くたばってるんじゃないかと思い、
そうならちょっとからかってやろうかと考えたのだ。
それだけだったんだ、ほんとうに。
部屋のなかにいたタカ丸はその明度の高い髪をおろし、背をむけて座っていて、
戸を開けた俺に驚いて振り返るとふにゃりと笑って部屋へ迎えいれた。
わざわざ会いにきてくれたんだーと嬉しそうに言って、タカ丸は上機嫌に鼻歌を歌っていた。
思いのほかへたばっていないタカ丸を意外に思い少し感心というか安心していると、
へーすけくーんと馬鹿みたいに甘い声で名前を呼ばれて一瞬のうちに押し倒されてしまった。
(タカ丸、こいつやたら押し倒すの上手くないかコノヤロウ)
むすっとタカ丸を見上げて、それから油断していたことを後悔しつつ現在に至るわけだが。
あとで結び直すからと言って勝手に解かれて床に散らばる髪を弄るタカ丸と、そいつに押し倒される俺。
もし誰かこの部屋に訪れようものなら確実に変な誤解を招くだろう。
…ん?誤解?いや、いやいや誤解だ。
鼻先同士が触れ合うくらいの距離で改めて見れば見るほど人好きする顔を眺め、盛大にため息をついた。
「どけって。午後の授業遅れる」
「ん~………ヤダ」
にっこりと効果音がつきそうなくらいの笑顔でそう返され、髪を撫でる手つきも止まることは無い。
いい加減、肩と腰と背中が痛い。
その上休み時間が終わる時も押し迫っている。
こいつのせいで授業におくれてみろ。
組が違うといえど、俺が授業を珍しくサボったなんて話は恐らく三郎達の耳にも入るはずだ。
はぐらかせればいいが、それは無理だろう、相手が悪い。
そのあとのことを考えると頭が痛くなるのも無理は無い。
「………どけ」
先ほどよりも苛立った声で言っても、タカ丸は生娘のような仕草で首をひねり、
「いーやーでーすーv」
と憎たらしい笑顔と共に、逃がすもんかとどっしり、さらに体重をかける。
思わずぐえっと苦しい声が漏れた。
流石に自分より図体のでかい男にこれだけ押さえ込まれたら、
いくら体力的にも忍の技術的にも勝っているとて状況は悪い。
俺は、すぐそこでゆれる肩から流れ落ちる鬱陶しい金髪を睨みつけた。
「どけったら」
「い・やv」
「お前なぁ!!」
つい声を荒げてしまったが、それでもタカ丸は笑みを絶やさない。
柔らかく誰からも好まれるような愛想のいい笑顔。
しかし、
その表情になにか引っ掛かるものがあり、俺は思わず目を見張った。
いつものような締りが無いのはさながら、なんというか、
(…なんか、変?)
口元の笑みもいつも通りだし、表情としてはちゃんと笑っているのだけれど、やはりいつもと印象が違う。
見慣れたものとは違い、明るさがないというかどこか脆そうというか似非くさいというか。
とにかくタカ丸のわりに随分下手糞な笑顔には違いなかった。
「あとで一緒に怒られてあげるからそんな嫌そうな顔しないでよぉ」
「いらない。どうやって言い訳する気だよ…」
「そりゃあ、…2人で一緒にイイコトしてましたとか…」
「……」
タカ丸は妖しく目を細めてそういうものだから、思いっきり無言で殺気を放ってやった。
こいつ馬鹿か、馬鹿に違いない。いや、知ってたけど!
肩を竦めてから、冗談、と相変わらず笑みを浮かべているタカ丸を呆れながら見上げていたら、
ふとその瞳がぐらついた。
薄っすら開いた唇から、一瞬笑みが消えて、
「でも今日だけ我が儘聞いて
もう何もしないから」
髪に触れていたはずの手がいつのまにか胸元をきゅっと掴んでいた。
やっぱり。
気のせいなんかじゃなかった。
目の前でタカ丸は、眉をへなりと下げて困ったように笑ってみせた。
そんな顔すんな、距離感が狂う。
見慣れたものと違うそれは、どこか遠くにいるように錯覚させられる。
笑うんならもっとちゃんと笑え。
笑えないくせに無理やり笑ってんじゃねぇよ。
「……」
ぽすんと胸元に顔をうずめ、タカ丸は制服を掴んだまま黙り込んだ。
すりすりとしがみつき擦り寄る姿に、子供みたいだと感じた。
体に加わる重さは随分子供とはかけ離れたものだけれど。
「……」
ギュっとさらに強い力で服をつかまれる。
長い髪が胸の上で蒲公英のように広がっていて、埋められた顔が覗けない。
「……何だよ、話せよ」
「……ヤダ。ムリ。泣くかもしんないから」
タカ丸は小さな声で渇いた笑みを含んでそう言った。
項垂れた頭を左右にふってやんわりと拒絶の態度をとる。
(ちょっと、痺れてるんだけど)
髪に触れるために肩を押さえつけられていたタカ丸の腕の圧力がなくなったおかげで自由に動く両手を伸ばし、
じんっとする指先でタカ丸の肩を抱き寄せた。
ため息を天井に吐き出し、柔らかい色素の薄い頭に触れた。
先ほどまでのタカ丸の仕草を真似て、くしゃりと髪を揉むように撫でる。
「……ん」
気分がいいのか、小さく肩をゆらしたので顔を埋めながらタカ丸が笑ったのが分かった。
タカ丸のように器用ではないけれど、出きるだけやさしく髪を撫でた。
今のタカ丸は脆そうで、ひどく弱弱しく感じる。
気のせいならいいのに、どうもそうじゃないらしい。
すがりつく手が細かく震える。
「…気が済んだら言え」
「あは、……っりがと」
それから無言が続き、俺が兵助くんを解放したのは午後の授業が半分以上終った頃だった。
兵助くんは体が随分痛そうで、授業をサボったことを随分気にしていた。
ごめんね、と言っておろした髪を素早く結い上げてあげて、それでおしまい。
会話もこれ以外はほとんどなかった。
ただ自分より小さな体にしがみつくだけで、色めいたこともなにも。
そもそも、押し倒したら怒って出て行くくらいするだろうと思っていたのに、
意外なことに彼は諦めたようにためいきをついて案外すんなり受け入れてしまったのが何より誤算だった。
うん、まぁここは喜ぶべきところだよね?
あぁでも、今日だけはもっと拒んで欲しかった。
いつものように笑える自信が無かったから、今日は会わないようにしようと思っていたのに、
いきなり部屋にくるんだもんなぁ。
表情を繕って最後まで無理やりでも押し通そうとしたけど、それはかなわなかった。
自然と欲に素直な俺の手が彼の体を掴んで離さなかった。
一緒にいたい、でも迷惑もかけたくない。
そう思いながらも両手は弱弱しくしがみついていた。
声も言葉もなくして、泣きそうになるのを堪えて、ただ、なにも聞かずに黙って頭をなでてくれた優しさに甘えていた。
今日、4年生は朝から実習だった。
実習と言ってもさして難しいものでもなく、まだ忍術学園に入って日の浅い俺でも参加することができた。
その内容は苦無使用可能な二人一組の組み手で、
俺の相手は同じ組の友人で、
俺は攻撃を避けることはできたけど防戦一方で。
でも反撃しなくてはと、攻撃を見切り精一杯伸ばした手がその子の頬を掠めた。
「タカ丸さんって思ったより強いんだなぁ」
額から流れる血を押さえながら、
ごめんねごめんねと何度も謝る俺を見上げ、その級友は笑いながら暢気こう呟いたのだ。
その後彼は保健室でちゃんと処置を受け、たいしたことはなかったらしいけど。
(なんで、笑っていられるの)
そりゃ忍者の世界で、授業といえどこうやって傷つけあうことが当然だとしても、傷は痛むし腹だって立つはずだろう。
「慣れてるよ、このくらい」と言って、気にしないでと笑うのが歯がゆかった。
その怪我を俺以外それほど深く気にしている人はいなかった。
皆慣れているから。
授業が終わってからひとりになった俺の思考が行き着く果ては、どうしても1つだった。
(あぁ、きっとあの人も同じ目にあっても慣れていると言うんだろうなぁ)
級友のように笑うかどうかは分からないけど。
…多分仏頂面かな。
でもきっと俺みたいに泣いたりしない。
いずれは傷つくことも痛みも、慣れてしまえば笑って済ませられるようになるのだろうか。
自分の体のこと、まるで武器みたいに扱うように。
そんなの、辛い。
プロの忍者になれば命の奪い合いだってするわけで、
死は常に傍らにあることは知っているし、それを理解もしてるけど。
でも、だって、命あっての稼業だろう。
あと一年と少しで自ら望んで忍者になる彼が、傷を負ったときのことを考えてやまない。
ねぇ、もしものことがあれば、俺はどうすればいいの?
こんなに深く溺れているというのに、一人ぼっちにされたら俺はどうなるの。
はぁー…とついたため息と共に、ぐずっと鼻をすすった。
両手で顔を隠し、ひとりきりになった部屋で仰向けに寝転がる。
他の皆は午後からの授業に出てるんだろうけど、目とか赤くなってたらヤだしなぁ…
「馬鹿面が余計馬鹿になるぞ」
「ぅえっ!?」
驚いて指の間から頭上を見上げると、そこにはさっきまでいた兵助くんがしゃがみこんで俺を見下げていた。
ちょっと、気配を消して近づくなんてずるい!
いやずるいっていうか、どうしたの、なんでここにいるの。
そう思っているのが知れたのか、兵助くんは俺の顔を覗きこみながら呟く。
「…なんかもう、授業どうでもいいと思って」
「だからって帰ってこなくても」
そういうと不機嫌そうにあ?と聞き返してきた。
もお、ガラ悪いよ兵助くん。
「だって、」
見下げてくる長い睫毛に縁取られた目から、目線をそらす。
駄目だ、今は一緒にいたくない。
きっと甘えすぎる。
もっともっと深いところまで溺れて、もっともっと弱くなりそう。
泣いた顔だって、見せたくない。
声をだせばそれと一緒に涙や嗚咽も漏れてしまいそうで、ぐっと唇を噛んで口を塞いだ。
なにも言えずに堪えていると、さっきより少し乱暴にぐしゃぐしゃと前髪を撫でられた。
「…聞かないから話さなくていい。
だけど俺もここにいるから、そんな顔、するな」
そう言った兵助くんは少し辛そうに目を伏せがちに俺を見下げていた。
長い睫毛が頬に影を落として、綺麗。
あぁもしかして兵助くんもかなり俺に溺れてくれてたりする?
今日来たのだって実はちょっと心配してくれてた、とか。
甘い勘違いだろうか。
「兵助くん」
名前をよんで見上げれば、凛とした顔を少ししかめて俺を見ていた。
心配して、一緒にいてくれるんだね。
うん、兵助くんは強くて優秀だし大丈夫。
俺より先に死んでしまうことはないだろう。
「もう大丈夫だよ」
そう言って兵助くんを見ると、彼は驚いたように目を見開いて、それから細めて、その後眉を吊り上げた。
「勝手なやつ」
ぼやく声に苦笑した。
「そんなこと言わないでよ、これでも結構悩んだんだから」
俺は体を起して、兵助くんの方を振り返る。
下ろしたままの髪をかき上げ、にっと笑いかける。
自然といつものように笑うことができた。
「ねぇねぇ、それよりさっきの続きしよーよ」
「……馬鹿か」
「今ちょっと間があったけどー?」
そうやって茶化すと、乱暴に頭を叩かれた。
手のひらじゃなくて、固められた拳で。
しかもそりゃもう勢いよく。
「~~ッ!てゆーか兵助くん馬鹿馬鹿言いすぎだし!ひどい!」
「馬鹿に馬鹿っつって何が悪い」
そういう酷い悪態を言うくせに頬は赤くなってる。
ああ愛しいなぁ。
「兵助くん、」
向かい合いさっきまで掴んでいた紺色の制服に再び手を伸ばした。
もし兵助くんが悩んだりして、
俺に甘えたいときは十二分に甘やかしてあげる。
だから、
「もうちょっとだけ、胸かして」
ぐいっと胸元を掴んで引き寄せ、そこにすがりついた。
今度は声を出してちゃんと泣くから、
もっともっと甘えさせて。
***
タカ丸が弱弱しい…
「やくも蜜」にて凹タカを見て、思わず無理やり書かせてくれと頼み込みました(例のごとく)
コウさんありがとうございました!
理由は丸投げくださっちゃったので勝手に妄想を!
文もちょっと自重した部分があります←