土の中のひんやりとした空気がうっすら汗ばんだ首筋をじんわりと冷ます。
見上げた空は寒々しいくらいに真っ青だ。
息をつけば、それは煙になってそれから空気に散って消える。
本日二つ目の蛸壺掘り終えたところで、あぁそういえばと思い出した。
「今日は勉強会だからな、放課後私たちの部屋にくるように」
タカ丸さんへ伝えなさいと、滝に言われていたんだ。
綾部は自分の背丈よりも深い穴からひょいと軽く這い上がり、それから煙硝倉へ向かった。
今日は委員会の当番だと言っていたから、昼休みの今ならばおそらくそこにいるだろう。
土埃にまみれた髪をぐしゃぐしゃにかき回すと、絡まった髪で指が通らなくて痛い。
(勉強会の前に、髪あらってもらお…)
自分とはまったく別の生き物のような動きで髪に触れるあの指。
タカ丸がしてくれる髪を洗うという行為は、それはそれは蕩けるような快感だった。
焦がれながらもいつもと変わらぬ歩調で歩き、
ようやく見えてきた倉の中を遠目から少し覗いてみると、
あの見慣れた金髪の後姿を目に捉えた。
「タ…」
カ丸さん、と口を開いた綾部はふっと目を見開いて口ごもった。
(あ )
タカ丸が横顔をむけ、少し目線を下げたその先に、
青い制服の腰もとまである長いたっぷりの黒髪。
印象といえば「生真面目」または「凛としている」であるその顔が、
タカ丸の笑顔に応えてまんざらでも無さそうに微笑んでいて、
ぶわっと
体の奥を尖がった爪で撫でられたように身震いした。
ああ、なんてこと。
彼が、あの先輩が、まさかタカ丸にあんな顔をしようとは夢にも思っていなかった。
一方的に追いかけていただけと思っていたのに、
いつのまにか、
知らないところであの人は彼を捕らえたらしく。
(いや だ)
それなりに甘い空気が漂うその場から、とにかく逃げ出したくてたまらない。
(あんなの見たくなどなかった)
踵を返し、音もなく地を蹴ると綾部は駆け足でその場を去った。
目で見えなくとも頭の中から先刻のふたりの表情がどうしても消えない。
あと一瞬声をかけるのが早ければ、あんなの見ずに済んだのに。
後悔と苛立ちと、それから後をつけて自己嫌悪が浮かぶ。
綾部は通いなれた長屋の廊下を走った。
「せんぱい、」
「綾部、いま委員会の…ぅおっ」
振り返った伊作に後からのしかかるように抱きついた。
顔のすぐそばにある綾部は日焼けしない白い腕を首に絡めて項垂れる。
羽毛のようなふわふわに波打つ髪が今日も砂だらけで、
先ほどまでまたいつものように蛸壺作りに勤しんでいたことは分かれど、
さて一体この唐突な行動の理由はどういうことか。
「先輩のせいで私超不運です」
「えッ!?」
どうしてくれるんですかと平淡な声で言う綾部の顔は、彼自身の髪を腕に隠されて覗けない。
随分元気が無くて不機嫌そうな綾部に、伊作は慌てた。
「な、なにかあったのか?」
不運感染といえば、同室の友人も少々そのように噂されているが
まさか綾部にまで自分の不運が?
伊作が申し訳なそうな声で尋ねても、綾部は黙ったままである。
「綾部、」
「……」
「俺のせいでなにか嫌な事あった?」
「……」
綾部の無言は珍しいものではないが、首元にすりよる姿はどこか寂しそうで。
伊作は土埃だらけの髪に少しおどおどしながら触れて、優しく撫でる。
不安そうな表情で綾部を見ると、彼も少しだけ顔をあげて上目遣いで見つめた。
「もし不運になっても、不幸にはしない。
ほら、俺が幸せにするから」
だからそんなに拗ねるなよと眉をひそめて言うと、
綾部はぱちくりと目を数回瞬きさせ、それからあぁと1人納得した。
(一緒にいたら、私にも不運がうつると思ってるんですか。
そんなの、冗談なのに。
私のただの、八つ当たりなのに)
心配性で優しいお人だと呆れ、それでも愛しいと感じて、思わず口元に小さな笑みが浮かぶ。
「それは、私の台詞、です」
見下げる伊作の顎に手を添え、その唇に自分の吊り上げた唇を押し当てた。
熱を交換しあうだけの子供の悪戯のようなそれに、面食らったような顔をした伊作の背中から
離れて立ち上がると、綾部はまたいつもの歩調でふらふらと保健室を後にした。
残されたのは、
「え…?」
驚いた顔をする伊作と、
「「「「……」」」」
それらを終始目の当たりにしてしまった不運な後輩達だけだった。
***
この後伊作先輩赤面。綾部だーいせいこーv
伊作先輩の方が大人だし諭してあげるけど、一枚上手で振り回すのは綾部の方です。
綾部は運とかすごく良さそうなので食満のようにはならないでしょうけど、ちょっとは被害もうけるかなぁと。
タカ久々はカップル未満の両片思いで「さっさとくっつけ」な一番目に毒な時期。
綾善なのにタカ丸のくだり長いっていうのはどういうこと(土下座
綾部はタカ丸を易々盗られて黙ってるような奴じゃないですから、
明日にでも豆腐を囮にした蛸壺が設置されていることでしょうよ(爆)
一番の被害者:保健委員の後輩達(ごめん実はいました)