「お茶はいりましたよー、土井せんせー」
タカ丸がとくとくとお茶を淹れながらそういうと、机に向かっていた半助が振り返った。
「悪いな、客人なのに」
「いいえ~それより終わりましたか?」
テストの採点のほうは、とタカ丸が問いかけると、半助はため息をつき肩を落とす。
「ほんと相変わらず、うちのクラスは実技の成績はあんなにいいのに……」
そう呟きながら朱色になったテスト用紙を見つめて気を落としていた。
1年生の時から実践を積んでいるは組は、
実技では常に優秀な成績を収めるが教科のテストの成績は最悪である。
唯一委員長の庄左ヱ門が飛びぬけてできるだけで、他は視力検査なみなのだ。
高学年にもなってくると教師の目を盗みカンニングをする生徒も多いなか、
全くその素振りすら見せないのだから、呆れを通り越して寒心するくらいの潔さだ。
半助の呟きに、伊助が昔からテストが返ってくるたびに落ち込んでいたのを思い出してタカ丸は苦笑した。
(ほんと、なにも変わっていない)
タカ丸は胃のあたりをさすりながら項垂れる恩師の頭をじっと見つめた。
切れ毛に枝毛、乾燥してぱさぱさの艶なんて無いに等しい髪の毛。
全てストレスと不摂生な生活が原因なのだろう。
可愛い教え子達のため毎日遅くまでテストや教材を作っているのに、
その結果が悲惨であればやはり報われない。
「先生…相変わらず最悪の髪質ですね…」
タカ丸のその言葉を聞いて半助は思わず苦笑した。
数年前の嫌な記憶がよみがえってくる。
髪を毟るだなんて暴挙…今思い出してもなんだか頭が痛むような気がした。
そんな半助の気持ちは素知らぬようすで、タカ丸は頬をふくらませぶつぶつと文句を呟く。
「何度も何度も、店に来てくださいって言ってるのに…」
「いやぁ…忙しくてねぇ…」
はははと乾いた笑みを浮かべる半助に
タカ丸は呆れたように、苦労は知っているけれどやはり許しがたい…とため息をひとつ落とすだけだった。
「まぁ、髪の話は置いといて。
それよりお団子食べましょうよ。
昨日遠出したついでに隣町の有名なお店で買ってきたんです」
「あぁ、頂くよ」
半助はタカ丸に差し出された包みの中にある4本の三色団子のうちひとつを口にする。
甘味なんて随分久しぶりに食べたような気がして、その糖分が体に染みるようだった。
疲れたときは甘いものですよ、と笑いながらタカ丸も団子を食べ、続けざまに茶を飲んだ。
「おいしい」
なくなった団子の上質の甘い名残を楽しみつつ、タカ丸が「さて」と口を切った。
「依頼されていた潜入の件、完了しました」
タカ丸はそう言いながら湯飲みを床に置く。
かたんと小さな音が狭い部屋で響き、開けられた小窓の向こうから子供の笑い声が小さく聞こえてくる。
お互い表立った表情はこの昼下がりに差し支えない笑みを浮かべたまま視線を交わす。
しかし、穏やかな昼の学園でこのようなピンと張り詰めた空気が流れているのはこの二人の間だけだった。
ほんの数秒の沈黙の後、再びタカ丸が口を開いた。
「詳細は学園長にお伝えしましたので」
そう言って、にこりと目を細めて唇の端をつりあげた。
3日ほど前、学園は髪結いとして敵の城へ潜入して内部を探ってくるように頼んだのだ。
忍者としての斉藤タカ丸に。
タカ丸は髪結い業のかたわら、忍者稼業も営んでいる。
主に情報収集や潜入、まれにより難度の高い忍務を引き受けているのだが、
現在も実家で髪結い師をしているが故に、そのことを知っているのは学園関係者と学園と繋がりのある一部の忍者のみである。
そのため学園側も髪結い業のことも考慮し、依頼する頻度は低かった。
卒業してからタカ丸が学園から依頼を受けるのはこれで7度目。
その際はタカ丸とは在学中から同じ委員会の顧問と委員として、また、半助の受けもつは組関連でもなにかと接点があったため、
今でも忍務の依頼と報告の窓口は半助が行っているのだ。
卒業後、まったく顔を見ない元生徒は少なくない。
命を落とすことも珍しくないし、忍者の道を選ばず実家に帰って平和に過ごしている者も多い。
だからこうやって卒業後よく知った生徒と顔を会わすのは
成長の程を知るいい機会でもあり、しかし同時に寂しくもあるものなのだ。
「せんせー?」
「ん?あぁ、悪い」
思わずぼんやりしていた半助は顔を覗きこむタカ丸に気付き、自分自身に苦笑した。
タカ丸は体調が悪いのかと心配している様子だったので、
安心させるように半助はタカ丸の頭をなでて微笑んだ。
「なんでもない、大丈夫だよ」
わしわしと髪を掻き撫でると、ゆれる金髪から部屋に華やかな匂いがたちこめた。
鼻の奥をくすぐる女の色香のような甘くて、すぐに上物だと分かる品のある香。
それは確かに良い香では会ったが、タカ丸から漂ってくるそれはあまりにも濃くて強烈だ。
「……それより、悪かったな。
報告のついでといえ、くの一教室の授業までたのんでしまって」
申し訳無さそうに言った半助に、めっそうもないとタカ丸は首を振った。
「構いませんよ。
いつもお世話になってますし。
それにだってシナ先生のご要望でしょう?」
タカ丸は白い歯を見せて、美人にお願いされちゃあ断れませんよと笑う。
半助も先ほどまで知らなかったことだが、
報告に来ると知ったくの一教室の山本シナ先生についでに髪結いの講習まで頼まれ、
タカ丸はここに来る前にくの一教室へ行って来たらしい。
本人は楽しそうにしているように見えるが、正直なところどう思っているのかは知れない。
しかし半助は、おそらくよいタイミングではなかったはずだと確信していた。
「あ、先生お団子もう一本どうです?」
タカ丸がそういって明るく笑うとつられて長い金髪がゆれ、再びあの甘ったるい匂いが漂った。
「うん、頂くよ」
「どうぞー」
二杯目の茶を淹れているところだったタカ丸は、俯いたまま返事をした。
きらきらと日の光に輝く髪は、忍とはかけはなれたもののように見えるのに、
(タカ丸は、…)
「みんな、大きくなりましたね」
2本目の団子を食べながら、タカ丸は頬杖をつきながら呟く。
しみじみとしたその口調と横顔は、ここの学生だった頃よりも随分大人びていて、
半助はその言葉を内心そのままタカ丸に返した。
「背がたかくなって、筋肉もついて、制服も青色で。
伊助ちゃん、すごく立派になって…なんか感動しましたもん、俺」
「人間成長するからなあ」
目の前にいるタカ丸もそう。
半助もまた、しみじみとした口調で言って目を細めた。
息子ほどとまでは行かなくても、年の離れた生徒たちは皆子供同然に愛しい。
だからこそ、忍者の学園で教師をするものとして、その内には複雑なものがあるのだが。
「…せんせーなんかもぉ三十路前ですもんねぇ」
「う・る・さ・い」
からかうような口調でタカ丸が言うと、半助は笑いながら軽く頭を小突いた。
こういうやりとりも随分久々だなぁとタカ丸はぼんやりと頭の隅で考えて、また懐かしむように笑みを零した。
学園にいたときの友人や知人、もちろん先生方に会うのは滅多にないことだ。
基本的には学園には依頼された忍務の報告くらいでしか立ち寄らない。
なのでタカ丸の関わる人間といえば、髪を結われにくるお客さんと同業者とご近所さんと父親、
(それと )
脳裏に浮かんだのは、もう随分顔も見ていないあの人で。
「あぁ、そうだ。
兵助とはどうなんだい?」
ふいに、なんら変わらない平穏な口調で問いかけられた半助の言葉を聞いて、タカ丸の肩がぴくりと跳ねた。
目をすこし大きくして半助に視線をむけると、それこそ有無を言わさぬ穏やかな顔をしてて。
(敵わないなぁ…)
タカ丸は肩をすくめて、それにしてもなんとも無遠慮な質問だと困ったように眉をさげた。
「伊助ちゃんたちは聞きませんでしたよ、そんなの」
思ってはいたみたいだけれど、と苦笑して呟く。
皮肉めいた言葉にも半助は薄く笑みをはりつけたまま無言で答えを促してくるので、
タカ丸は諦めて一度小さな深呼吸をした。
「手紙は月に必ず二回。
会えるのはよくて二月か月に一度。
長かったらもっと帰って来やしませんよ」
薄く微笑みながら拗ねたような口調で言って、
タカ丸は俯きながら食べ終えた団子の包装紙を包みなおして片付けはじめる。
目に痛い金髪が動くたびに光を反射する。
「そう」
半助の短い返事はそれ以上深く追求してくる様子もなくて、タカ丸はそれに救われたような気がした。
「ええ…あ、俺そろそろおいとましますね」
「うん、気をつけて」
「また何かあったら言ってください」
客商売に向く、愛嬌のある笑みでそう言ってタカ丸は立ち上がった。
腰まで長い金色の髪がさらさらと音を立ててはためく。
タカ丸の一挙一動のたび、あのむせ返る様な香が充満する。
半助は座ったままタカ丸を見上げた。
「それ、香油か?」
優しく問いかける声と口調に、追い詰めるような迫力があってタカ丸は困ったように笑う。
「ええ、
ただの匂い隠し、ですよ」
それ以上はという意図を含んだ笑みに、
半助はそれ以上なにも聞かず、ただ、「いい香だな」と優しく笑い返した。
タカ丸はそれに甘えるように眉をよせる。
「じゃあ、失礼しました」
そういって踵を返し、戸に手をかけたところで「タカ丸」と背後から呼び止められた。
「忍者業はどうだい?」
人のいい笑みの向こうで、半助の裏腹な鋭い目がタカ丸を射止める。
見覚えのあるそれは、ほんの先ほど自分を遠くから見上げていた少年のそれとよく似ている。
それでも確かに違うのは、相手がはぐらかすことが出来ない相手だということ。
そして、なにより確信を持った上で問いかけてきているということだ。
「順調です」
きり丸へ向けたのと同じ笑みで同じ答えを返すと、半助は目を細めた。
笑っているとも哀れんでいるともとれる複雑なその顔にタカ丸はまた苦笑する。
これ以上ここにいて、さらに追求されるのは少し辛いなぁと考え、
「おじゃましました」と一言再び半助に背を向けた。
「あ」
しかしタカ丸は部屋から出て閉めかけた戸を途中で止め、隙間からひょいと顔を出した。
半助がどうしたのかと不思議そうに首を傾げると、
「あと、それきり丸くんにも聞かれましたよー。
似たもの親子ですねぇ、せんせ」
タカ丸はにぃっと子供のような笑みを浮べた。
甘い残り香と半助だけになった部屋で、
そこの主は足音もなく遠ざかっていく薄い気配を感じながらただどうしようもない憂鬱な気持ちになっていた。
教師という職は、ほんとにろくなものじゃないなと思わず苦い笑を浮べる。
タカ丸があの甘い香で隠そうとしていたのは、生臭い血の匂いだ。
潜入の忍務先で血が流れることは無い。
となれば答えはひとつ。
タカ丸は学園関係とはまた全く違う知らないところで、忍者として仕事をしているのだ。
卒業後から薄々気付いてはいたものの、改めてあんな笑みで肯定されれば、
(あの子は、タカ丸は馬鹿だなぁ)
半助は呆れて悪態をつくしかできない。
髪結いだけでも十分、まれにでも安全な忍者の依頼をこなすと十二分に生活はできる。
なのに、わざわざ血の匂いを消してまで髪結いも忍者を続けるなんて。
なんて貪欲、
いやそんな言葉よりももっと似つかわしいのは、
(一途 、かな)
半助はまたあの賑やかだった火薬委員会のことを懐古して笑みを浮かべた。
(……それにしても親子扱い?)
少し冷めた茶を飲み干しながら、
やはりもうそんな年なのかと半助はほんの少し落ち込んでいた。
***
土井先生には敵わないタカ丸。
タカ丸は人一倍人の気持ちとかに敏いし隠すのもうまいけど、
土井先生はそれを見破ってしまうからちょっと苦手。
でも大好きだしリスペクトしてます。
まだ続くと思われます←