まぼろし 3

 

どっぷりと日が落ちて真っ暗になった真夜中が始まる時間。
 
タカ丸はひとり、鋏を磨いでいた。
しゅっしゅという音だけが耳に入ってきて他は静かだ。
タカ丸は鋭い光を帯びた刃を角度を変えながらじっくり眺め、もう一度砥石にかざした。
 
(先生にはやっぱり隠せなかったかぁ…)
日が暮れる前のこと、学園で会ったかつての恩師を思い出し、タカ丸はため息をついた。
団子屋に行ったときはばれなかったけど、やはり忍術学園の教師を騙しきる事は出来なかった。
仕方ない。
これだけの匂いを纏っていると勘ぐられることは覚悟していた。
しかし、そうする他なかったのだ。
 
 
(まだ匂う)
 
鼻がおかしくなりそうなくらいの、あのおびただしい量の血。
全身に浴びた返り血が、まだ未だに鼻につく。
直接手をかける仕事は少し久しぶりだったので、体や勘が鈍っていたのもあるのだろうけど、
あんな殺し方をしてしまうなんてやっぱりまだまだだなぁと内心ため息をついた。
 
 
タカ丸はもう一度研いだ鋏を見つめ、今度は納得して目を細めた。
蝋燭のうすぼやけた朱色の光だけの暗い部屋で、鋭く光るそれはとても美しい。
人を殺すためのものじゃなく、ただ、髪を切って人を美しくするための刃物。
だからこうも美しく輝くのだろう、タカ丸はそれを見つめてぼんやりそう思った。
タカ丸は鋏を髪結い箱に片付けて冷たい床に正座しなおした。
 
(昨日あれだけ洗ったのにな)
 
自分の長い髪を一束すくう。
目には見えないたっぷりつけた香油の匂いと血の悪臭がまざりあって、香に酔いそう。
吐き気がする。
タカ丸は気が重いまま、ゆっくり立ち上がった。
 
 
もうすっかり日課になってしまったことだが、タカ丸は毎日家の外で人を待つ。
それも夜を待って。
(月の出る夜は明るいから来ないかなぁ
と考えながらも、しばらく外で座り込んで待っている。
毎日毎日、雨の日も雪の日も必ず。
外へ出て、気をめぐらせて、側にいないか確かめる。
そうやって待っていても、それが実を結ぶのは一月か二月に一度ほど。
 
(前にあったのは20日前…きっとまだ来ない)
 
おそらくまだあと10日、長くて40日かもっとずっと先。
尋ねて来るかも分からない来客を、タカ丸は待ち続ける。
(大人しく家の中で眠って待っていればいいのに)
自分でそう分かっていても、焦がれる胸を押さえるには夜の冷めた風に当たるほか方法が無いのだ。
タカ丸は外へでて、軒下にしゃがみ込んだ。
あたりはいくつか長屋が並んでいて、遠くからは人の声が聞こえる。
タカ丸が住んでいるのは、髪結い処やたくさんの店がある通りから少し離れた場所だ。
卒業後はそこの小さな借家に1人で住んでいる。
父にそうするよう言われたのだ。
 
髪結いだけじゃなくて忍者もしたいと我が儘を言ったときに、
「うちは忍者の家系、それが当然だ」と認めてくれた父には感謝している。
しかし、父は髪結い。
毎日お客さんのすぐそばに寄り添う仕事をしているため、血の匂いなんてもってのほか。
だから血の匂いが身の回りに移らぬように、一人で住むことを勧めたのだ。
学園にいたころもずっと1人部屋だったので、すんなりそれを受け入れることができた。
タカ丸自身、血の匂いを大切なお客さんに嗅がせるなんてしたくなかった。
なので、血を浴びるような忍者の仕事をした後は数日間店を休ませてもらっている。
多少腕が鈍りそうで困るけど、血に臭いが残ったまま人前に出るよりはずっといい。
 
 
タカ丸は古い壁に背をもたれ、なげだした腕をぐぃっと高く天に伸ばした。
空がずっと遠い。
端っこを闇に食われた居待月が、夜の空をうす明るく照らしている。
暗いけれど、忍者にとっては十分明るい。
 
(きっと、来ない)
 
足音しない暗い夜道を眺め、タカ丸は諦めて立ち上がった。
腰についた壁のほこりをはらい、ため息一つ落として家の中に入ろうとした
その時、
 
 
「あ、」
 
 
ぞくっとする気配。
それはあまりにも小さく、ほんとうに彼のものじゃなければ気付かないような微かなもので。
 
タカ丸はバッと勢いよく振り返った。
長い黄金色の髪が宙をひるがえり、再び背中に流れ落ちるまで、タカ丸はぐっと目を凝らして闇夜を見た。
さく、っと小さく砂を踏む音。
それがだんだんと近づいてきて、家からこぼれる僅かな光で闇の中から人の形が浮き彫りになる。
 
黒い忍者装束と黒い髪が闇に溶けながらゆれて現れた。
 
 
 
「へいすけくん」
 
 
名前を呼んだ瞬間、その人影が口元に笑みを浮かべた。
せいかい、と言っているようだった。
「そんなの、わかってる」
間違えるはずがない。
 
 
「ただいま」
 
 
側に歩いてきた兵助は、ほとんど同じ目線で小さく笑った。
もしかしてまた背が伸びたのかもしれない。
ほんの20日、されど20日。
タカ丸はずっと触れたかったその体にゆっくり手を伸ばした。
 
「おかえりなさい」
 
タカ丸がぎゅっと頭を包み込むように抱きしめると、
兵助はやっぱりまだ身長は追いついていないのかと内心呟きながら、大人しく肩に顔をうずめた。
生きている人の体温がひどく懐かしい。
兵助はここに帰ってくるたびにそう感じる。
タカ丸から香ってくる甘い匂いに目を閉じて、同じように腕をまわした。
 
(兵助くん、血の匂いがする)
 
黒髪に赤い液体は見つからないけれど、確かにタカ丸と同じ鉄の匂いを兵助もまとっていた。
おそらく人を殺める仕事をしたのだろう。
そして早ければ明日にでも、またどこかで誰かと戦っているのだろう。
そう考えると胸が苦しくなって、タカ丸は腕に力を込めた。
窮屈そうに兵助が顔をあげたので、それにごまかすような笑みを返し、
きっとまたすぐに遠くへいってしまう体温に身を寄せた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太陽の高い角度から落ちてくる光が格子の窓をすりぬけてきて、
そのまぶしさにタカ丸はきゅっと目を瞑り、首を少し横にひねった。
薄く開いた視界に、くっきりとした黒髪の毛先がゆらめくのが見えた。
 
「兵助くんだ」
 
眠たい頭でぼんやり名前を呼ぶと、兵助はうん?と振り返った。
 
(あぁ、兵助くんが隣にいる)
そう思うだけでタカ丸は口元が緩むのを抑え切れなかった。
 
 
求めて求められた20日ぶりの逢瀬の翌朝。
気だるい体を起き上がらせることすら大儀で、
タカ丸は寝転んだまま兵助の背中の真ん中あたりでゆれる毛先を弄った。
 
(切ったのは俺だけど、やっぱり勿体無いなぁ)
 
兵助がフリーの忍者になったその年、タカ丸は兵助に髪を切るように頼まれた。
「潮江先輩くらい短く」と言っていたのを必死に説得して、
なんとか胸のあたりまで残して貰うことは出来たけど、やっぱり少し寂しい。
それから2年近くたっているので、その黒髪はまた随分伸びてきた。
(また切ってくれって言われるのかな)
必要とされるのは嬉しいけど、こんな艶やかな髪は長くてゆらゆらなびいてる方が美しい。
 
 
「髪、伸びたな」
 
兵助が呟いた一言に、タカ丸は一瞬びくっと肩を揺らした。
「もうずっと伸ばしてるだろ」
まさか読心術でもされたのかと驚いたが、
振り向いた兵助の目線はタカ丸の髪へ向けられていた。
兵助は髪を切り、タカ丸は髪を伸ばしている。
いつのまにか初めてあった頃と長さが逆転していた。
 
仰向きに寝転ぶタカ丸の上に四つんばいになって馬乗りの体勢になった兵助は、
腰あたりまである金髪を一束つかんだ。
毛先までよく手入れされたそれは、柔らかくてまとまりがあってさわり心地がいい。
 
「いい加減切れば?」
「やーだ。これは願掛けだもん」
願掛け?そんな話は初めて聞いた。
兵助は首をひねって、タカ丸の顔と手元の髪に視線を行き来させる。
タカ丸は今にも問いかけようとした兵助を見上げ、口元に人差し指をあてて
「秘密、教えない」と微笑んだ。
兵助はむっとしたが、無理やり聞こうとは思わなかった。
白い太陽の光に照らされて、タカ丸の色素の薄い髪は目が痛いくらい輝く。
 
兵助は掴んだままの長い髪を、そっと自分の口元に添えた。
兵助の唇が触れた自分の髪がまるでべつの生き物みたいに熱をもってるように感じ、
タカ丸は身じろぎする。
「あの、兵助く…」
「タカ丸」
いつになく低い声で名前を呼ばれ、思わず背筋に力がはいった。
タカ丸を見据える兵助の目が、鋭く細められる。
 
「これ、誰の血?」
 
タカ丸は大きく目を見張った。
(そうだ、あぁ、俺は馬鹿なことを)
迂闊だった。
血を浴びた後は人前に出るだけでも拒むべきなのに、
 
肌を重ねて気づかれないはずが無い。
たとえ、兵助が同じものを纏っていたとしても。
 
タカ丸はどう言い訳をしようかと考えをめぐらせて見たが、
兵助を相手に咄嗟に思いついた理由なんか通じるはずもないと諦め、ため息をついた。
 
「…名前しか知らない男だよ」
 
どんな反応をするのだろうか。
恐る恐る視線を合わせると、未だ鋭い目でタカ丸を見下げる兵助は呆れたような顔でため息をついた。
「学園からの依頼じゃないんだろう」
学園は髪結いをしているタカ丸のことを案じ、血を流すような忍務は与えていない。
そのことは兵助も知っていた。
じゃあこの匂いはなんだというのだ。
何故、タカ丸は名前しか知らない男の血を浴びているのだ。
 
「どうして」
一言そう問いかけた。
兵助の真っ黒な瞳は責めるようにタカ丸を見つめている。
タカ丸は眉をしかめてその視線に向かい合った。
「だって、」
きゅっと下唇を噛み締め、投げ出した両手をぐっと固める。
爪が手のひらに食い込んで痛い。
 
「俺は、髪結いだけじゃなくて、忍者としても、兵助くんの隣がいい」
 
こんなこと言ってしまえば、嫌われそうだから隠していた。
きっと髪結いもしながらこれ以上の忍者の仕事をするなんていったら、
真面目な兵助が「両立できるはずもない」と反対するのは目に見えていた。
それでも、
 
「俺にだって、俺にしかできないことがあるでしょう。
 今は無理でも、忍者として兵助くんの助けになれる日が来るならなんでもする」
 
 
(なんて綺麗な、)
思わず吸い込まれそうになる強い目が兵助を射止めた。
 
 
「だから俺は人を殺すの」
 
 
血の匂いだって傷だって、疎ましいけど怖くない。
望むところだ。
 
強い目で兵助を見上げるタカ丸は貪欲であまりにも一途で、兵助は思わず見惚れてしまった。
タカ丸が忍者を続ける理由が自分の隣にいたいからなんて、
(そんなの、馬鹿みたいじゃないか)
必要もない血を浴びて、必要も無い傷を作って、それでも隣がいいというのか。
 
 
「タカ丸」
 
名前を呼ぶと、兵助の下でタカ丸の体がおもしろいくらいに震えた。
どんな反応をされるのかとびくびく怯えている。
嫌われるとでも思っているのだろうか。
(本当に馬鹿)
そんな言い訳をされると、呆れる理由は見つかっても怒る理由は見当たらない。
 
 
兵助は白い首筋に纏わりつく長い髪をよけ、細い肩を優しく掴む。
それから、首にきつく吸い付いた。
小さな痛みにタカ丸が驚いたように上ずった声をあげてきゅっと兵助の着物の裾を掴む。
その反応に口元に笑みを浮かべながら兵助が唇を離すと、そこには紅い花びらのような跡が残っていて、
タカ丸はそれを見て驚いたように目を見開いた。
兵助からこのような証を付けるのは珍しい。
 
 
「まだまだ駆け出しだけど、俺もちょっとは仕事を選べるようになった。
 それなりにいい依頼も来るようになったし、余裕だって出てきた」
呆気に取られているタカ丸の頬を撫でて、兵助は少しだけ笑う。
 
「この跡が消える前にまた戻ってくる。
 だからその間は仕事入れるなよ」
 
触れた頬が一気に赤みを帯びてきた。
 
「じゃあ…」
その口ぶりからすると、忍者の仕事も認めてくれるということだろうか。
タカ丸は目を丸くして驚いた顔で兵助を見上げた。
「無理はするなよ、これは絶対」
うん、うん、とタカ丸は大きく何度も首を上下に振って頷く。
兵助はそれに苦笑した。
人を殺すようなこの仕事、喜んでするようなものじゃないだろうに。
 
「日が暮れたらまた行ってくる」
「うん、待ってるね」
 
タカ丸はそれまではこの体温を手放したくなくて、兵助の首に腕をまわして抱き寄せた。
それはお互い様のようで、兵助も背中に手を回してタカ丸を強く抱きしめた。
 
 
 
 
 
夜が来ると、兵助はまた闇に消えて行ってしまった。
 
それにしても、帰ってくるまでの日数を数えるのが楽しみなんて初めてだ。
いつかは消えてしまうけど、確かな証。
兵助がここにいて自分もここにいると証明してくれているようで、そのことがなによりも幸せだった。
 
(今日はゆっくり眠ろう)
 
兵助が来るといったのだから、きっと明日か明後日か明々後日にはまた帰ってくる。
今夜はゆっくり休んで明日は髪結い処へ行かないと。
首の赤い跡を愛しそうに撫で、タカ丸はひとつ笑みをこぼした。
 
 
(そうだ、髪を切ろうかな)
この願掛けも意味を成さないような気がしてきて、タカ丸は内心呟いた。
 
 
 
――― 兵助くんが消えていなくなってしまいませんように
 
 
 
そんなさみしい願いより、幸せな明日を自分でつかみとりに行く方がずっと自分らしい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
***
久々知が積極的(笑
タカ丸はようはずっと一緒にいれればいいんです。
暗殺とか潜入ならタカ丸の方が得意で、もういっそ夫婦で忍者やればいいんじゃないかと←
これからも年齢操作でこの4年後話は書いていきたいと思っています。
ここまで読んでくださりありがとうございました!