初めて泊りがけの実習に出かけていた4年生が先刻ようやく帰ってきたらしい。
そのことを兵助が知ったのは、寝る前に厠へ行った帰りに、廊下でたまたま聞こえてきた同級生の噂話によってだった。
なんでも他の学年が夕食を食べ終えた後に帰ってきたらしく、
4年生はおばちゃんのおにぎりしか食べらなかったらしいという内容だったが、
それは兵助にとってどうでもいいことだった。
( 帰ってきてたのか )
実習の日数は無期限で、そこですべきことが終わり次第だと言っていたから、まだ時間がかかると思っていたのに。
( 案外早かったんだな )
兵助は方向転換して、軋む古い廊下を足音を立てずに歩きだした。
向かう先が変わった。
ほんの2日だけだけど、なんだか無性に顔が見たくなった。
実習が終わったらあいつの方から会いに来ると思っていたけれど、的が外れたから仕方ない。
今はそんなことに拗ねているよりも一目、会いたかった。
「…タカ丸」
4年長屋のもう通いなれた部屋の前で、その名前を呼んでみる。
部屋にはぼんやり明かりがついているけれど、もうだいぶ夜も遅いし、眠っているかもしれない。
そう思って呟く程度の声で言ったのだが、やがてすぐに部屋から物音が聞こえた。
布団を捲る音、立ち上がる音、…ああやっぱり眠っていたのか。
「兵助くん?」
そろり、障子の戸を開けてタカ丸が呟く。
隙間から見える顔が一瞬驚いて、それから笑った。
「会いに来てくれたの?
もう遅かったから明日会いに行こうと思ってたのに」
「そっか。 いや、ごめん、もう寝てたのに」
やっぱり会いに来てくれるつもりだったのか、と少し安心しながらそう言うと、
タカ丸はまだ布団に入ったばかりだったからと笑って部屋に招き入れてくれた。
香油や髪結い道具なんかの、此処の部屋独特の匂いが優しく香る。
薄明かりに照らされたおろされた髪が、足音を立てて振り返ったからゆらりと舞った。
タカ丸はどうぞ、と布団の脇に座布団を出した。
大人しくそこに座ると、タカ丸は兵助の目の前に腰を下ろす。
「会いに来てくれてありがと」
「…ううん、おかえり」
タカ丸はただいま、とはにかんで笑った。
兵助は無事で帰ってきたことに少し安心する。
こんなこと言ったら心配しすぎだと笑われるかもしれないけれど、
まだ忍者の経験の浅いタカ丸がこの実習に耐えられるか、心配だった。
「初めての大きな実習で、疲れてるだろ。
…大丈夫か?」
兵助に心配そうな瞳にそう投げかけられ、タカ丸はまた笑みをこぼす。
それはふわりと、壊れ物のようにどこかか細いように思えた。
「だいじょうぶだよ」
金色の髪がゆれて、灯によってちらちら輝く。
顔色はべつに悪いわけでもなく、とくに怪我をしている様子も無かった。
けど、
「怪我もしなかったし、成績も意外とよかったし。
兵助くん、おれ、だいじょうぶだったよ」
どこか呂律の幼い、ゆるやかな声。
とろんとした瞳で兵助を見つるタカ丸は、
( ウサギみたいな目をしてる )
兵助は目の前の柔らかい髪に手を伸ばしながらふっと距離を縮め、
タカ丸の額に自分の額を優しく押し当てた。
鼻先が交わって、吐息が絡み合うくらい距離が近い。
タカ丸は目を閉じてくすりと笑い声をこぼした。
至近距離で盗み見てみると、金髪から微かに覗く目尻がほんの少し赤らんでる。
額から伝わる温度に兵助も少しだけ頬が熱くなったような気がした。
「なぁに、兵助くん」
「…眠いのか?」
「……うん。ちょっとだけ、寝不足、かな」
タカ丸が少しだけ身を引いて兵助から額を離して小さく笑い、
それから落ちるように、ぽすんと肩にもたれこんできた。
あまりに急だったものから、兵助は驚いてタカ丸を見つめた。
「少しだけ、こうしててくれる?」
タカ丸の金の髪が兵助の頬をくすぐる。
構わない、と返事をする前に背中に手を回されて、寝間着をぎゅっと掴まれた。
選択権はないじゃないか、と兵助は息をつく。(まあどうせそれしか選択する道もなかったのだけれど)
兵助はタカ丸の柔らかい金髪を優しくなで、もう片方の手で背中を軽くぽんぽんと叩いてやる。
子供を寝かしつけるような仕草だったが、タカ丸はふふっと嬉しそうに笑っていた。
どれくらい時間がたった頃か、急に背中にしがみ付いていた腕がずり落ちた。
宙ぶらりんになったその腕は、まるで力が入っていない。
耳を澄ませばすうすうと気持ちの良さそうな寝息まで聞こえてきた。
( 寝たし…… )
お互いずっと無言だったから、一体いつから眠っていたのか分からない。
とりあえず布団は敷いてあるのだから、そこに寝させてやろう。
兵助はもたれかかっているタカ丸の首の後と背中に腕を回して、後ろの布団にゆっくり身体を横たわらせた。
図体がでかくてさらに力を抜ききってるから、その薄い体が随分重たく感じたる。
ぱさっと乾いた音がして、長い髪が布団にひろがる。
兵助はゆっくりとタカ丸の頭を布団の上に置いて、隙間からそっと腕を抜きはじめた。
すると、タカ丸は小さく唸ってもぞもぞと身じろぎを始める。
( 起きるなよっ…… )
兵助は内心焦りながら、慎重にそっと腕をぬいた。
「あ…っんぅ……」
「…馬鹿、変な声出すな」
ただのうめき声だと分かっているが、思わずそんな言葉が出る。
タカ丸は寝返りを打って身体を横向きにして兵助の方を向くと、
体勢に納得がいったのか、再び大人しく寝息を立て始めた。
兵助は、はぁ安堵の息をおとす。
まあ一応顔も見れたし声も聞けたし、
なにか話をしようにも肝心の相手が眠ってしまったらどうしようもない。
とりあえず今日は帰るか、と立ち上がろうとした兵助は思わずその動きを止めた。
「…!」
動けない。
( 勘弁してくれ…っ )
兵助は思わず赤くなった顔を左手で覆った。
華奢で大きな手に右手をつかまれてしまって、きゅっと力をこめられる。
こんなことされて、振りほどけるはずがない。
兵助はとタカ丸と握られた手を見比べて、はぁと大きく息をついた。
( …しかたない )
そう心のなかで呟いて、タカ丸の方に、ごろんと横向きに寝転がる。
下はもちろん床だから冷たいし寝心地も悪い。
けど、すうすうと目の前で自分の手をきゅっと握り締めて幸せそうに眠りにつくタカ丸を見れば、
兵助はそれでもいいような気になってしまった。
金色の髪のしたでほんのり頬を赤くして口を半開きのまま眠るタカ丸は、とてもじゃないけど年上だとは思いがたい。
髪結いをしているときや不意打ちで見せる年上の顔とは違う、ただの斉藤タカ丸の寝顔。
普段から常に年上らしさを感じているわけではないが、こうしているとなかなか可愛い後輩だなぁと、
兵助はぼんやりタカ丸に見惚れていた。
( 目ェ赤かったし、
寝不足も本当だろうけど、
多分、泣いたんだろうな。
まぶた腫れてる )
戦場に行って来たんだ。
人を殺めたのか傷つけたのか、そのことは分からなかったけれど、
きっと初めて経験することも多かっただろう。
同じ経験をしたから分かる。
けど、
( 独りで泣いたのか? それとも誰かの前で? )
( 声を張り上げて大声で泣き叫んだのだろうか )
( それとも息を詰まらせて声を押し殺して泣いたのか )
独りで泣かれるのも誰かの前で泣かれるのも困る。
( だから、
どうせ泣くんなら、 )
普段なら多分言えそうもないから、
目の前のタカ丸が眠っているのをいいことに声を出して言ってしまいそうになったとき。
ふいに繋がれた手をさらにぎゅーっとつかまれた。
「へーすけ くん」
眉をほんの少し下げて、
形のよい唇からこぼすように名前を呼んで、
へにゃりとタカ丸は幸せそうに笑った。
「…っ」
思わず頬の温度が急激に高くなったのを自覚した。
こんな至近距離で完全に不意打ち。
( そんな顔されたら、 )
( 俺の前で泣けなんて言えないじゃないか )
兵助は暖かい手のひらを優しくきゅっと握り返した。
***
リクエストいただいた「くくタカよりのタカ丸実習後」です。
リクエストしてくださった御方、ありがとうございました!
実習後ということで、初めて大きな実習に参加した後の設定なんですが、ほのぼのした感じを目指してみました。
もっとシリアスを期待してくださっていたなら申し訳ないです…!
く、くくタカよりになっているでしょうか…(ビクビク)
くくタカを意識するとどうもタカ丸をほにゃほにゃさせてみたくなりますv
眠そうなタカ丸とか、絶対可愛い。(断言)
書いててすごく楽しかったです!
お気に召されるか不安ですが、捧げさせていただきます!
壱万打リクエスト、ありがとうございました!