「竹谷くぅん」
聞きなれたゆるやかな声に名前を呼ばれて振り返る。
それとほぼ同時に戸が開けられる音がして、無許可で部屋に踏み入れてきた金髪頭の見知った顔は、
いつものように晴れやかな笑顔をうかべていない。
うつむいてどこか深刻そうな、見慣れない表情をしていた。
「どうした、タカ丸さん」
「…竹谷くんに話があるの」
ぺたぺたと一歩歩くたびに床と足をくっつかせて下手糞に歩く彼は、
本当にいまだかつてない表情をしていて、なにやらただ事ではない雰囲気を漂わせている。
斉藤タカ丸の竹谷八左ヱ門の印象といえば、
常にへにゃりと笑っていてそれでいて油断ならない人、というものだった。
髪結い業をしていた経験ゆえか話術や距離のとり方なんかが上手くて、
いつのまにやら懐に潜りこんでいて、すっかり懐かれてしまうのだ。
そして、ゆったりと柔らかな笑みに絆されて、つい距離を縮めることを許してしまう。
それが嫌だとか思わせないあたり、やはり只者ではないんじゃないかと思う。
足音とか気配とか経験値の足りないことはまだしも、忍の家系であるためその素質はあるのだろう。
「なにか相談事?それなら兵助に…」
言ったほうがいいんじゃないか、と言いかけて口をつぐんだ。
彼が一番親しい俺の同級生、久々知兵助は、昨晩から学園長のおつかいに行っている。
簡単な内容の忍務だと言っていたから、多分今日の夕方くらいには帰ってくるだろうけど、
タカ丸さんのその表情から察するに、緊急を要することなんだろうか。
そう思っていたのだが、タカ丸さんはとその黄色い頭を大きく横に振った。
「俺は竹谷くんに、話があるの」
そう言ってから、まっすぐに俺を見つめた。
俺は座ったまま、タカ丸さんは立ったままだから、必然的に見下げられる形になる。
普段から彼は自分を見下げる高さにいるけれど、
長い金髪から垣間見える俯いた表情が妙に真剣で重々しくて、
そろそろ本当に心配になってきた。
「俺でよければ話聞くよ」と笑いかければ、タカ丸さんはふわりと小さく笑みを浮かべた。
いつもよりは控えめだったけれど、やはりこの人は笑っていない顔なんて似合わないと思う。
「…それじゃあ、あのね、」
呟きながらタカ丸さんはまたぺたぺた、2歩足音を鳴らす。
身長があって脚の長い彼は、それだけで俺の前から後へと位置を変える。
急にどうしたのだろうと振り返ろうとすると、それより早く背中にずとんと重みを感じた。
驚いて目線をできるかぎりに横へ向けると、
首元には金髪があって、頬を掠る距離で見たその輝きが眩しくて、思わず目を瞑る。
その間に首をゆったりと絞めるように腕を回される。
この状況に思わず身体が硬直する。
土とか森とか、そういう野性的なにおいの少ない後ろの身体との未だかつてない密着度。
つまりは後から抱きしめられている状態。
え、なに、これ。
「竹谷くんは兵助くんの友達だからずっと言えなかったんだけど、
俺ずっと、ずっとね……」
「タカま、るさ……」
「竹谷くぅん」
耳元で囁かれる甘ったるい声に、頭がぐらぐらするくらい顔が赤くなった。
しかし、それと同時に相反してどっと冷や汗が噴き出る。
なぜだか、その甘やかな名前を呼ぶ声に恐怖らしきものを感じたのだ。
「今日の授業で俺1年は組にいったんだけどさぁ、
その時に三治郎くんからすっごくいい匂いしたんだよねぇ」
わざと間延びさせているような声は、どこか精神的に俺を追い込む。
すごく嫌な予感がしてきた。
「でねぇ、どこかで嗅いだことのある匂いなんだよねぇ、これがまた。
それで聞いてみたら、委員会で先輩にシャンプーとリンス使わないからあげるって言われたっていうじゃない?
さぁて、これはどういうことなのかなぁ、生物委員の竹谷くぅん」
怖い。
殺気とはまた違う、これは、執念。
「俺があげたヘアケアセット、どうしちゃったのか言ってみてくれる?」
もう今更、頭の熱も引いてきた。
タカ丸さんの声は表面上甘くてゆるやかなのに、中には怒気が詰まっている。
この人が怒ってるところ、初めて見た。
というよりも、怒らせてしまった。
たしかに「これ、お願いだからお風呂で使ってね」と、
それなり(髪結いの彼がいうそれなりがどれなりなのかは考えたくなかったが)に高級らしいヘアケアセットを貰った。
俺の髪質の悪さがどうも気にいらないらしく、会うたびに毟られかけていたから、
まあただで貰ったものだし、と思って一応使ってみた。
そうすると髪を水でゆすいだ瞬間に、自分の髪がまるで別人みたいに指どおりがよくて驚いて、
流石髪結い師のタカ丸さんが見立ててくれただけのことはある、と妙に関心したものだ。
だがしかし、3日で飽きてしまった。
もともとこういう小まめなことは性に合わないらしく、
普段から髪もろくに乾かさず、櫛も通さずに寝るなんてことが普通だったから、
ヘアケアセットを風呂場にもって行くこともなくなった。
わずか3日分だけ使ったその高級品をそのまま部屋に追いおくのは勿体無いし、
そりゃあ貰ったものを人にあげるなんて失礼だとは思ったけれど、
俺なんかが持っているよりもっと利用して喜ぶ人が使うほうが価値があるおもって、たまたま委員会で会った三冶郎に託したわけだ。
「…どうしてそんなひどいことするかなぁ」
「ごっごめんタカ丸さん…!
でも俺髪とかあんまり執着ないし別に髪質なんてよくならなくても…」
「なんか?」
あ、やばい、地雷踏んだかも。
肩に乗せられていた形の良い顎が少し離れて、
その代わりに首にまかれた腕の力が反比例して強くなる。
「それじゃあ大人しく、刈られてくれる?」
言葉と同時ににゅっと腕を伸ばす。
裾の中から取り出した銀色に輝くものを一瞬でも捉えられただけ、俺の動体視力はかなりいいほうだと思う。
首周りは開放されたけど、代わりに目の前で脅すように刃物が光る。
右手には鋏、左手には櫛。
背中に未だ残る重圧は、多分肉体的なものだけじゃない。
この人、辻刈りだ。
「これまでは兵助くんに止められていたから我慢してたけど、もう無理…っ
今日こそはその髪綺麗に整えさせてもらうからね、覚悟して!」
「ひっ…!!」
首をひねって振り替えると唇を吊り上げながらも目が微塵にも笑っていないタカ丸さんが、
今にも俺に襲い掛かってきそうに構えていた。
情けない悲鳴が漏れたのも仕様がない。
だって怖ェ!!
伸びてきた右腕を寸前のところで床を這いながら避けた。
しかし続けさまに、またすばやくタカ丸さんの腕は俺を追いかけてくる。
忍者歴短い初心者とは思えない身のこなし、辻刈りの技。
着実に頭を狙って刃物を持った男が襲ってくるというのは、非常に恐ろしい事態だと思う。
殺気でなく執着心での攻撃だから、反撃もしにくい。
「動かないでよぉっ!」
「無理だろ!怖いんだよあんた!」
すっと見切って避けた右腕が頬の横を通り過ぎて、
その長い指が握り締める金属が耳元でシャキンと音を立てる。
ぞくっと身体が震えるその恐ろしさに、思わず俺も手を伸ばしてしまった。
「わっ!」と短い叫び声とともに、タカ丸の腕をつかんで足を払って、床に身体を押し付ける。
受身の取り方を知らなかったのか咄嗟のことに対応しきれなかったのかは分からないが、
とにかく彼は床に背中からすっころんでくれた。
その隙に両手から鋏を櫛を奪おうと細い手首に強く力を込めた時、
「痛いっ!」
「はっちゃん今帰ったんだけど、」
仰け反りながら叫んだタカ丸さんの声と同時に、聞きなれた友人が戸を開けて名前を呼ぶ声がした。
兵助が帰ってきたんだ、予定よりも少し早めに。
反射的に入り口に目線を向けると同時に、今の体勢にはっとする。
「なにやってんの」
兵助のいつもより低い声にぞわっと鳥肌がたった。
これは間違いなく殺気だ。
しかもこれ以上ないくらい本気の。
俺は馬乗りのまま両手を掴んでタカ丸さんの上に乗っていて、そりゃ誤解を招くかもしれないがあくまで誤解だ!
落ち着いて話せば分かる、と慌てて両手を離しながら弁解しようとすると、
それより先に俺の手から自由になったタカ丸さんが「へーすけくーん!」と叫んで駆け寄って、
自分より小さな身体にぎゅっと抱きついた。
「聞いてよ兵助くん!竹谷くんが俺にひどいことするんだよ!」
「こら!そういう誤解を招く言い方しない!!」
慌てて俺も立ち上がってちゃんと理由を説明しようと兵助に近寄ると、
「はっちゃん、ちょっと話しようか。2人っきりで」
と、自分より大きな男の背中をあやすようにさすりながら、
共に過ごした学園生活のなかで初めて見るってくらいのとびっきりの笑顔でそう言ってくれた。
タカ丸さんは色々愚痴をこぼしながらも、さっきの誤解を解くような言葉は口にしない。
絶対わざとだ、この人!
ああやっぱりタカ丸さんは只者じゃない。
油断していた自分の頭を思いっきりしばいてやりたい。
さっきのいつもと違う、不覚にも赤面してしまった一面も、
鬼のように恐ろしいタカ丸さんの辻刈りの顔も。
どちらもできれば知りたくなかった。
(し、できれば前者については兵助には知られたくない、と思う。)
***
タカ丸がついにぷっつん。
今までは久々知がこっそり止めていてくれていたらしいですが。
微妙にタカ竹?フラグをほのめかしてみましたがあくまで友情だとおもいます。
タカ丸がちょっと意地悪してますが、ちゃんと後からちゃんと弁解してます。
そんな感じの下におけま。
「…ってことなの!ひどいでしょ!?」
「いや確かに俺も悪いけど…でもあんな本気にならなくても…」
「はっちゃんが悪い」
「(まだ拗ねてらっしゃる……)」
「竹谷くんはさあ、髪がもっと綺麗だったらきっとモテると思うんだよね…
顔もカッコイイし性格も男らしくて優しいし俺なら絶対惚れ、っ痛!
えっ、ちょっなんで怒ってるの!?」
「お前が悪い」
「あー今のはタカ丸さんが悪い」
「な、なんで…?」
***
なんだかんだで肝心なところタカ丸も天然で抜けてればいいと思う。