※タカ丸と小松田が幼馴染設定です
頼まれた事務の仕事を途中まで書いて、少し疲れたので筆をおいて休憩する。
書きかけの書類はまだ半分も終わっていないけれど、
息をはくと同時に、もともと僅かしかない集中力もすっかり切れてしまったらしい。
ふと、今までは気にならなかった部屋の外の音が、大きく聞こえてきたように感じた。
ざあざあざあというそれは、確かに雨の音だった。
そういえば朝からずっと分厚い曇が空を覆っていて、
雨の気配があったからなぁと思いながら立ち上がって窓から外を見る。
風も出てきた。
青々とした葉っぱが揺れて音を立て、それが雨の落ちる音と重なって増幅させている。
(今日もどこかでお仕事しているんだろうなぁ)
(きっと傘もさしてないんだろうなぁ)
(風邪ひかないかなぁ)
(忙しいのか、な)
「利吉さん」と、小さく名前を呼んで見ても、それを拾い上げてくれる人は誰もいない。
ただ雨の音に負けて消えていくだけだった。
もう2週間くらい会っていない。
仕事が長引いているのか、大変な忍務だったのか、それともどこかで怪我をしているのか。
名前を呼べば返す声がないことにひどく傷つくくせに、またこうやって呼んでしまう。
また、馬鹿だね君はと笑われてしまうなぁと心の中で呟いてみるも、
やっぱり悲しくて寂しい気分は晴れなかった。
こういうとき、なんとなく彼に会いたくなる。
彼は、授業が終わったばかりの時間だから、いつもならきっとあそこにいる。
もうずっと彼は自分と同じように、毎日そこで待ち続けているから。
こんな天気だし流石に今日はいないかもしれないけれど、彼のことだからもしかしたら。
そう前置きしてから、秀作は傘をつかんで慌ただしく外へ飛び出した。
「タカ丸くん!」
「あ、秀ちゃん」
やっぱり居たと秀作が駆け寄ってみると、
そこにいたタカ丸は、手入れされた金の髪も自身の服も濡れているのに気に留めず、
門に背をもたれて座り込んだまま、片手を上げてへらっと笑っていた。
「なにやってんのさ、傘さしなよ!風邪ひいちゃうでしょ!」
「さっきだもん、雨降ってきたの。 ね、入れて」
そういいながら傘を指差して相変わらず笑っていると、
仕方ないなぁとばかりに秀作は呆れた表情を浮べて傘を差し出した。
「ありがとう」
そう言って笑って立ち上がり、タカ丸は秀作と同じ傘の下に入った。
タカ丸のほうが身長が高いので傘の骨に髪が触れる。
少しかがみながら意地悪く笑って「持つの代わろうか」と秀作に目線をあわせると、
秀作はむっとして「そんな必要ありません」と、少し傘を持ち上げる。
その様子に、タカ丸は眉を寄せて口元を綻ばせるしかなかった。
「秀ちゃんは可愛いなぁ」
「年下の癖に生意気だよ、タカ丸くん」
「だってぇ、」
年上になんて見えないんだもの、と言いかけた言葉は、
秀作が子供っぽく頬を膨らませて見上げてきたことによって遮られた。
そんな顔して怒っていたらよけい幼く感じられるだけなのに、と思ってタカ丸が声に出して笑い始めたからだ。
ひぃひぃとおかしそうに腹をかかえて笑うから、秀作はさらに不機嫌になる。
「もう!タカ丸くんなんてきらっ」
タカ丸を睨んで、秀作が啖呵をきったそのとき。
突然、鈍色の雲が光ると共に、バリバリという地を裂くような音が響いた。
「ひぃぃっ!!」
「わっ」
高い叫び声をあげて秀作は隣にいたタカ丸の腕に抱きつき、ぎゅっと力を込める。
身体を寄せて小刻みに肩を震えさせ、空がごろごろとまだ唸り声を上げるたびに肩を跳ね上げる。
一瞬呆気に取られていたタカ丸だったが、そんな秀作を見て思わず噴き出してしまった。
「秀ちゃんってば子供だねぇ。
そういや昔優ちゃんも一緒に3人で遊んだとき、
雷にびびってずっと泣き続けて動けなくなっちゃったことあったもんなぁー」
「タカ丸くんも泣いてたでしょっ!」
「俺はもう怖くないもん」
懐かしむように、それと同時に同時にからかうように言うと、
小松田は涙目でタカ丸を睨み付けて下唇を噛みしめる。
それでも腕を掴んだ手を離そうとはしないので、タカ丸は苦笑を浮べた。
「まぁとりあえず離れた方がいいよ、俺濡れてるから」
タカ丸がそう言って肩をやんわり掴むと、秀作ははっとして手を離した。
雨空の下に傘も差さずにいたタカ丸の明るい橙色の着物は冷たく濡れていて、
そのせいで少しくすんだ色に変化していた。
そういえば。
「…なんで私服なの?」
ふと気付いて秀作は問いかけた。
本来ならあの深緑、最高学年をあらわす制服を着ているはずなのに。
「ん、ちょっとね」
「ふぅん」
タカ丸が眉を少し下げて笑ったので、
秀作はそれを見て思うところはあったものの、
「出かけるときは出門表にサインね」と忠告するだけに止まった。
ざあざあざあと降り続く雨に紛れ、唸る低い空の声も止まらない。
しばらく2人は無言で傘に落ちる雨音だけを聞いていたが、
不安そうに身を寄せてくる小松田の右隣に立っているタカ丸が突然、顔を上げた。
「…秀ちゃん、ちょっと離れよっか」
「へ?」
面倒ごとは嫌いだからねぇと呟くと、
丁度その瞬間、コンコンと誰かが外から門を叩く音がした。
この雨の日に一体誰だろうかと思うと同時に、少しの期待が湧き上がる。
お互い、ここで毎日人を待っている者同士。
門を開けるのは秀作の仕事だが、その時はいつも思っていた。
利吉さんだろうか、それとも彼の待ち人だろうか、と。
必ず小さく息を吸ってそれから「はぁい」と笑って門を開く時、
その向こうにいる人が一体誰であるのかと考えると、その瞬間いつも胸は高鳴った。
「秀ちゃん、お客さんだよ」
しかし、タカ丸がまるでもうその門の向こうの来客が誰であるかを分かっているように微笑むから、
幼馴染で年下で転入生である彼がもう気配を読めるとかそんな忍者みたいなことが出来るようになっているのだろうかと、
秀作はタカ丸の大きな瞳をつい怪訝な顔で見つめてしまった。
そうならば彼は随分成長してしまったものだなぁと痛感する。
身長だけじゃなくて、忍者の知識や能力も、もうとっくに追い抜かれてしまっているのだろう。
「秀ちゃん? ほら、早く開けてあげないと」
「あっうん、でも傘…」
「いいからいいから!」
さぁさぁと勢いよく背中を押されると、秀作は勢いよく前のめりになり転倒しかける。
寸前で持ちこたえるも、それに恨めしそうに秀作が振り返ると、また雨がタカ丸に滴っていた。
濡れた頬をもち上げて微笑を浮べるタカ丸は妙に優しい顔をしていて、
文句を言いそびれた秀作は唇を尖らせるだけで、すぐに門に小走りで近づいて行った。
「はい、今開けますねっ」
秀作は声を張り上げてから、いつもより深く息を吸って、吐き出す。
やっぱり胸はいつもより少し早鐘だった。
ギッと軋んだ音をたてて扉を開き、その向こうを屈んで覗き込む。
(さあ、あなたは、誰ですか)
「やあ、小松田君」
「…っ利吉さん!」
雨に濡れて着物も結われた髪もすっかり水を吸って重たくなっているようだったが、
目の前で笑う利吉は、暖かくて穏やかな笑みを浮かべた。
「少し久しぶりだね」という声も細められた目に見つめられることも久しぶりで、
鼓動がさらに加速するのを血の巡りで感じた。
「…お久しぶりです。入門書にサインしてください」
「あのねぇ、開口一番に言われなくなくたって分かってるよそんなこと」
他に言うことは?と渡された入門書の真ん中に山田利吉と書いて渡すと、
秀作は首をひねりながらそれを受けとる。
「他に言うこと……うーん…、あっ!」
ひらめいた、という様子の秀作に利吉は少し期待したものの、
肝心の秀作は利吉の前から踵を返して、タカ丸の方へ走って行ってしまった。
「タカ丸くん、ごめんねー!」
「秀ちゃん…」
もうちょっと空気読んであげようよ…とタカ丸は内心呟きながら苦笑する。
走りよってくる秀作は急いでタカ丸の隣に立って傘を2人の頭上に持ち上げ、首をかしげて謝ってきたので、
それを口に出して言うことはできなかったけど。
「小松田君…」
「あれ、利吉さんも傘ないんですか?
早くお風呂に入って着替えた方がいいですよ」
その言葉に、利吉は顔をしかめてため息をつく。
不機嫌そうに向けられた目線の矛先は、もちろんタカ丸だった。
タカ丸は、同じ傘に身を寄せ合って入っていることが気に入らないんだろうなぁと苦笑する。
町に居た頃の幼馴染だというのはもう知っているし、あらぬ誤解を呼ぶ要素はないはずなのに、
エリートと呼ばれる人がこうも分かりやすく顔をしかめているというのは、なんだかおもしろい。
「ほら秀ちゃん、利吉さん送っていってあげなよ」
「え、でも…」
「傘はいいよ。
もともと濡れてるから大丈夫。
戻るまで俺がお仕事代わって上げるから、ね!」
それ貸して、と持っていたバインダーを秀作の手からすばやく奪い、驚く秀作の背中を押す。
さっきよりもずっと優しい力で触れられた背中に、雨に濡れている手の冷たさが薄っすら伝わってきた。
秀作が振り返ると、タカ丸は濡れた髪をゆらして一度、利吉に向かって会釈した。
「じゃ、利吉さん。
秀ちゃんをよろしく御願いします」
「…ああ。
行こう、小松田君」
その素っ気無い声に秀作は異議を唱えたかったが、
振り返りざまに手をつかまれてさらには持っていた傘もあっけなく奪われて体を引っ張られる。
早足で利吉が歩くから、秀作も自然とそれに合わせて小走りになった。
「あっ…タカ丸くん、風邪ひかないようにねっ!」
最後に一度だけ振り返ってそう言うと、いつもみたいに元気よく跳ねていない濡れた髪が、
お情け程度に零れる光に暗く輝いてちかしかしていた。
その下でひらひらと手を振って笑うタカ丸の笑顔がやっぱり少し寂しそうで、
秀作は不機嫌そうな利吉を斜め下から覗き込んでため息をついた。
秀作と利吉がもう長屋の中へ着いたのを気配をたどって確認してから、
タカ丸は無理やり受け取った出門表に自分の名前を書いた。
それからこっそり、門を開いて敷居をまたいで一歩、外へ出る。
外へ出たって相変わらずの雨。
見上げれば、鼻の頭に水滴がぶつかる。
タカ丸はその場に座り込んで、折りたたんだ膝に額をつけて重たい息を落とした。
彼が卒業してから、毎日待つのが日課になった。
追いかけることが出来なくて、ただ、焦がれるだけ。
月に2度必ず寄越してくれる手紙と、たまに仕事の合間で会える短い時間だけの付き合いは、
それまでは毎日会うことが出来た生活に慣れすぎた故に、すこし辛い。
寂しくて物足りなくて、ぽっかりと日常に穴があいてしまったような気分が常についてまわる。
フリーの忍者になったからには、最初のうちは仕事も選べないし、忙しいことはいいことだけど。
(…いいことだけどさぁ、時間を守らない男は嫌われるんだよ)
もう、ずっと待ち続けている。
授業を終えて急いで着替えて髪を結い直して、それなのに。
タカ丸は冷たい体を丸めて、自分を抱きしめるように膝を抱いた。
体に打ち付ける水滴が体温を奪っていく。
(俺がいつまでも待ってるなんて思ってると、大間違いなんだから)
(早く、早く、早く…っ、ねぇ早く来て)
一度、目線を上に上げて見るも、あたりには誰も居ない。
こんな雷鳴響く雨の日に外で待ち呆ける馬鹿、俺ぐらいだよと自嘲気味にため息をついて、タカ丸は再び顔を俯かせた。
「…雷にうたれちゃえ」
「うわ、なに恐いこといってんの」
頭上から聞こえる、からかうような誰かの声にタカ丸は肩を震わせた。
その途端、雨粒が体に当たらなくなる。
目の前に立っている、その誰かがタカ丸に傘を差し出してくれたのだ。
気配を消して忍び寄るなんてずるい、と言えば、きっとそれが生業だからなと笑われるだろう。
それでも顔を上げて、できれば抱きつきたいのが本心だったが、
タカ丸は少しばかり、否かなり腹を立てていた。
だから、その声の主の顔など見たくないとばかりに顔を俯かせる。
「…兵助くんなんて、もう知らない」
「…いつから待ってたんだ?」
「ずっと前」
「ん、ごめんな」
兵助はタカ丸の腕を掴んで立たせ、自分の傘にいれる。
掴んだタカ丸の冷え切った手に、兵助は少し眉を寄せて顔をしかめた。
相変わらずタカ丸は俯いたままで、濡れた髪が表情を隠している。
僅かに見える口元がいつもみたいな弧を描くことはなく、きゅっと結ばれていた。
「…なにか、あったのかと思った」
「うん、ごめん」
「…寒いし、遅いし」
「ごめんな」
兵助の3回目のその言葉に、タカ丸はようやく顔を上げる。
ようやく遠慮がちにあわせられた視線に、兵助は表情を和らげる。
「…、俺もごめんね」
「なんで」
「雷にうたれちゃえって言ったから」
そんなの、冗談でも言うべきじゃなかったのに。
タカ丸がそう言って自己嫌悪に息をつくと、兵助は小さく笑みを浮かべた。
なんだそんなこと、と笑うと、タカ丸はそんなことじゃないよと唇を尖らせ反抗する。
命を失うことが洒落にならない仕事をしているのだ。
それを知っているからこんな軽口、本当は言いたくないのに。
タカ丸が眉を寄せてまた顔を俯かせようとしたら、兵助はいつのまにか絡めた指に力をこめる。
「いいけど、そしたらお前も一緒だぞ」
手、繋いでるから。
そういった兵助に、タカ丸は大きな目を瞬かせてお互いの手を見つめる。
「…ほんとだ。 兵助くんの馬鹿」
「お前程じゃないけどな。
じゃ、せいぜい雷に打たれないように」
「行きますか」
目を合わせると、今度は自然と笑みが浮かんだ。
秀ちゃんには悪いけれどと思いつつ、出門表をその場に置いて、タカ丸は兵助の隣を歩き始める。
同じ傘の下、肩の触れ合う距離で、久しぶりに感じるその手のひらの体温に、
雨ざらしになった体がゆっく暖かく満たされていくようだった。
***
今日は手紙で来るっていっていたので確信してちゃんと私服着て待ってたのに、
仕事でいろいろあって約束にかなり遅れちゃった久々知。
久々知は年があがるにつれちょっとずつ余裕でてきたらいいなぁと妄想。
きんぐさんから小松田さんは雷苦手設定お借りしました。む、無許可じゃないよ…!
利吉さんとタカ丸は4年のときくらいに小松田さんをめぐって(誤解)ひと悶着あればいい。
このあと利コマ番外編に続きます。