未だ降り続く雨のほかに秀作の部屋へと続く廊下に響く音は、
秀作の足音と結い上げられた利吉の長い髪から滴り落ちる水が廊下に落ちる音だけだった。
黙って腕を掴んだまま早足で歩く利吉は足音を鳴らさない。
(…タカ丸くん、大丈夫かな)
雷鳴がまだ唸りをあげているし、依然として冷たい雨は落ち続けている。
1人で待つことがどれほど寂しくて一秒が長く感じるものか。
(僕…、分かるよ)
来るかも分からない人を、毎日待ち続けるということ。
その経験ならこっちが先輩だ。
でも彼の場合は待つ相手がこの春にフリーの忍者になったばかりということもあり、
会うことができる時間がめっきり少なくなくなってしまったのだ。
ほんの少し前まで毎日会うことができていたのに、急に遠くなってしまった存在。
秀作の待ち人である利吉はその点、仕事を選べるだけ会える時間も学園を訪れる回数も多い。
3週間会えないことはすごく辛くて物足りなくて、寂しかった。
けど、無事で帰ってきてくれて、入門書の真ん中にその名前が綴られることが幸せだった。
だから次の仕事に行く、その後姿を見送った日から、また待ち続けることができるのだ。
でも、
(僕は知ってるんだよ。
まだ卒業してから、あの子が一度も君に会いに来てくれないこと)
引っ張られて歩かされていた足を止める。
俯けば、古い廊下の木目が滲んで見えなくなった。
(もうずっと毎日、今日だって、待って、待ち続けて。
でも全然報われないじゃないか。
だから、僕が側にいてあげないと、タカ丸くん、独りだ。
独りなんて、寂しいよ)
唇を噛んで目を閉じる。
しゃくりあげないようにと必死になったけれど、
代わりに唸り声が漏れて、振り返った利吉が秀作の顔を覗きこんだ。
「小松田君?」
「利吉さんが帰ってきてくれたのは嬉しいです…っ、
でも、こんな雨の日に独りなんて、寂しいの、に僕っ」
「…小松田君」
「だって僕も知ってるん、です…
ずっと、僕も、今まで独りで、待ってたんですからっ…」
頬に伸ばされた手を、引き寄せて握り締める。
冷たい手同士が触れ合って無意味に思えるけれど、それでもこうしたかった。
零れ落ちる涙が頬を焦がすくらいに熱く感じた。
「待っているんです、ずっと待ち続けてるんです…
でも会いに、来てくれないなんて、嫌です…
僕は嫌です、僕は利吉さんにおいてけぼりにされたりしたら、寂しくてどうにかなるっ」
ひどい。
あんなに待ってるのに。
どうして迎えに来てあげないの。
なぜ彼を独りぼっちにすることができるの。
嗚咽でろくに言葉が出ない。
でも、とにかくただただ悲しかった。
独りで門の下で俯いている姿がいとも簡単に浮かんでしまって、それが自分の姿と重なる。
こうやって手を取り合う、熱を与えてくれる人が、側にいてくれない時間の寂しさが想像できてしまう。
だから、たとえ待ち人でなくても。
(独りよりは、同じ気持ちをしっている僕が、側にいてあげないと)
彼の濡れた頬を濡らすのが、雨だけであるように。
焦げるような痛みを感じることがないように。
「寂しいのは嫌なんです…っ!」
利吉の大きくて硬い手を両手で握り締める。
傷ばかりあるくせに頼りない両手は細かく震えていて、利吉は小さく息をついた。
「小松田君、心配しなくていいよ」
「利吉さんには分からないんですぅ…!」
「分かるよ。
待たせる側の気持ちなら、痛いくらい分かる」
いつもより優しい、あやすような声。
利吉がそう言って秀作の片手を同じように握り返せば、じんわりとした微熱を互いの両手に感じた。
「私も辛いよ。
もっと君に会いたいし、会える時間は全部君だけで埋め尽くしたい。
だからいつもここまで、私がどんな気持ちで走ってくるか、君には分からないだろう?」
俯けていた顔を上げると、濡れた髪から落ちる雫が目の前を落ちた。
秀作が久しぶりに見た優しい笑みを視界に捉えることができたのは一瞬だけで、
濡れた唇が自分の唇を掠めたときには、視界は最後の涙でぼやけて見えなかった。
「待たせてごめんね、ありがとう」
その声が聞こえたのは耳元で、気付けば利吉に抱きしめられていた。
秀作も、濡れた着物越しに冷たい身体に腕を回す。
「…利吉さん、大好きです」
はにかむように笑って伝えると、後頭部に手を回されてさらに強く抱きしめられた。
少しだけ息苦しくて回した手で背中を叩いて「利吉さん」と呼ぶと、
名残惜しそうに一度ため息をついて、「どうして君はそうかな」と大きな手で顔を覆った。
秀作は首をかしげて不思議そうに見上げるだけで、その手の下の頬の赤さには気付くことはなかった。
「まぁ、とりあえず部屋に行こう」
そう言うと利吉は再び秀作の手を掴んで歩きだしたが、秀作はちょっと待ってくださいとその手を逆に引いた。
利吉が訝しげに振り返って見ると、秀作は言いづらそうにしながら大雨の外に目をむけた。
「…でもやっぱり心配だから、傘届けてきます」
「そんな必要ないよ。
それに君があの子を待たせている奴の代わりになることなんてできないだろう」
「利吉さんっ!なんでそんなこと言うんですか!!」
秀作にとってタカ丸は大切な友達なのだ。
確かにその人の代わりを秀作がつとめることはできなくても、
せめて、傘を渡してあげるくらい、してあげたかった。
「…もう、きっと来てるよ」
「………えっ」
後で出門表を確かめてみればいい、と言いながら、
利吉はまだ目を丸くしている秀作の手を引いて、再度歩き出した。
「そ、それどういうことですか!? なんでそんなこと分かるんですか!?」
「ま、忍者だからね。 それよりも小松田君」
「ほえっ?」
声を張り上げて小走りで利吉の斜め下から問いかけてくる秀作に、利吉はにっと笑みを向けた。
「言っただろう。
君と居られる時間は一秒でも長く君だけと過ごしたいんだって。
君は違うのかい?」
「…そんなの僕も同じです。決まってるじゃないですか…っ!」
優しく頭を撫でられて嬉しそうに微笑まれれば、頬も握られた手もつい熱くなってしまう。
ずっと一番側にいたかった人の、触れたかった手。
向けられたかった自分だけを見てくれている優しい顔。
(ああ、こんなに好きだから、僕はずうっとこの人を待ってるんだ)
「さっきので君も濡れてしまったし、風邪を引くといけないな。
部屋に戻ったらちゃんと乾かすんだよ」
「分かってます!
僕だって子供じゃあないんですから!」
歩幅の違う彼に合わすように小走りで追いついて隣に立てば、あわせて少しゆっくり歩いてくれる。
握られた手をぎゅっと強く握り返すと、嬉しそうに笑ってくれた。
(利吉さん、大好きです)
***
やたら部屋にもどりたがる利吉さんに下心を感じる(ひ土井)
このあと部屋に着くまえの最後の曲がり角で土井先生に笑顔でつかまればいいです利吉さん。
「やあ、挨拶もなしかい?寂しいなー^^」
小松田さんにとってタカ丸は、同じ気持ちを知ってるもの同士で、弟分で、大事な幼馴染だといい。
利吉さんはむちゃくちゃ必死で走ってきてる久々知の気配を来る前から察知してたとか。
若いなーとか思ってるとか。(以上妄想)