閉め切った焔硝蔵の中はこの上なく寒かった。
恐らく外は曇天なのだろう。
ひゅうと寒々しい乾いた風の音が聞こえてくる。
指先がかじかんで字が震える。
早く帰りたいなとひとつ息を吐くと、それは真っ白い霧のようになってとろりと蕩けていった。
あの時廊下で先生に会わなければ、代わりに仕事を押し付けられることはなかったのに。
土井先生、恨みます。
今更どうにもならないことだが悪態をつき、再度ため息をついて筆を動かした。
「ねぇ兵助くん、この棚はこの数であってるの?」
「ん、そう」
ひょいと後から在庫表を差し出しながらそう聞いてくる声に、言葉少なに答える。
まあ一応、タカ丸にも声をかけてくれてたことには感謝しています、土井先生。
タカ丸はまだまだ仕事ができないと言っても戦力にはなる。
「兵助くんつめたーい」
…たとえ私語が多くても、一応は。
「それにしても今日は冷えるなぁ…
は組のみんなとお出かけしてる土井先生も大変だろうけど、こんなに寒いとちょっと辛いね」
俺は後で文句を言い始めるタカ丸に「仕事しろよ」と一言呟きながら、
するすると筆を動かし続ける。
「寒いし兵助くんも冷たいし…」
しょぼくれた声と共にはぁぁとわざとらしい大きなため息がきこえてきた。
ため息をつきたいのはこっちだ。
寒いのならさっさと仕事をすませろよ、と言いかけたら急に肩をつかまれてぐいっと体の向きを変えられる。
咄嗟に驚いて顔を上げれば、薄暗い蔵の中でもちかちか煩い金髪と、にぃっと目を細めて笑った顔が視界に入った。
うわぁ、すっごく嫌な予感がする。
「ねぇ、暖めて?」
言うが早いか両方の手首をとられて、ぐっと後へ押された。
あまりの勢いに足が絡まって後へ身体が傾き、火薬の壷の入っている棚に背中をぶつけてしまった。
その瞬間、耳元で壷が振動でかたっと傾く音がして、さっと血の気が引いた。
「……っ!」
嫌な汗が噴き出す。
しかし、壷はかたかたと微かに震えただけで、落下することはなかった。
ようやく耳元でその音が止んだことを確認すると、俺は思わず足の力が抜けて座り込んでしまった。
「……この馬鹿っ!なに考えてるんだ!」
「あんまり暴れると、壷、落っこっちゃうよ」
俺に目線を合わせてしゃがみこんだタカ丸の手は、俺の両手首を頭上で掴み、棚に押し付けていた。
しまった、全くもって安心している場合ではない。
抵抗しようと足掻けば必然的に棚が揺れる。
揺れれば壷が落ちる。
それだけは避けたい最悪な事態が脳裏に過ぎり、激しい抵抗が出来なくなった。
俺が唇を噛んだのを見て、タカ丸は笑った。
こういう時はほんとによく頭の回る、卑怯な奴。
「っ…部屋、帰ったら、相手してやるから!」
「やだ、待てない」
「やだじゃない!俺が嫌だ!こんなところ、寒いし…っ!」
「じゃあその気にさせてあげる」
ぐっと手首を一層強くつかまれて、見ればタカ丸は表情を変えていた。
あれだ、たまに見せる性格の悪い顔。
これがなければ可愛い後輩なのに、こういう顔をされると一気に年上の男だと思ってしまう。
どうしてもこの顔が嫌いになれない自分がいるから、どうしようもないのだけれど、やはり悔しい。
だから視線は睨んだまま、最低限の抵抗を試みた。
タカ丸は唇の端を持ち上げて笑い、顎の下にひとつ音をたて口づける。
睨むと、タカ丸は上目遣いで見上げて目を妖しく細めて見せた。
「俺、兵助くんの感じるところ、知ってるもん。
首筋、内太腿、脇腹、」
「っ、やめ、ろ…」
首の血管をなぞるように舌を這わせ、タカ丸は俺の両手首を左手だけで掴み、動かせる右手の指を太腿に滑らせる。
袴の上からでもその指先の動きについ息が漏れて、本当ならいつだって抵抗できるはずの手から力が抜けた。
「…もうその気になっちゃった?」
「…なるか馬鹿野郎、今すぐやめろっ」
「その気になったら俺よりも燃えるくせに、よく言うよぉ」
「っ!!」
首元から聞こえてきた声にかっと頬が熱くなるのを感じた。
首筋にまだ唇を何度も押し付けて熱を与えてくるタカ丸は、こちらも見ずに「真っ赤な顔で睨んでも迫力ないよ」と笑うだけ。
(そんなこと、あるはず、ない)
そう声に出すことすらもう無意味に思えてきてしまった。
さっきまで寒くて仕方のなかったのに、確かに体温が上がっている。
ひやりとした地面の低い温度が腰に伝ってきているのに、タカ丸が唇から与えてくる温度の方がずっと熱くて大きい。
こいつを調子付かせるのは癪だけど、もう流されそうになっていることは自分自身分かってしまった。
「……手ェ離せ」
もう逃げないから、と呟けば、タカ丸は目を細めて口元に笑みを浮かべた。
それから唇に掠める程度の口付けをして、手首を掴んでいた左手を解いた。
自由になった俺の腕の行き先はタカ丸の肩の上。
「兵助くんかっわいいなぁ」
タカ丸はそう言って笑って、俺の頬に音を立てて唇を押し当てる。
からかうような意地の悪い笑みがむかつく。
だからほんの少し。
最後のささやかな抵抗、ちょっとしたはらいせのつもりで、
俺は金色の髪の合間に見えた耳に噛み付いてやった。
「っ!」
袷の間から忍び込んできていた冷えた手が動きを止め、タカ丸は肩を震わせた。
(…?なにこれ、なにこの反応)
まさか、とふとある考えが頭に浮かんで、
俺は急停止したタカ丸の耳に再度甘噛みした。
「ぁッ、ちょっ…」
すると、いつになくか弱い声を漏らし、タカ丸は俺から身体を離した。
見ればタカ丸は頬を緋色に染め、目を大きく見開いて、困ったような驚いたような表情をしていた。
途端、ぞくっと何かが沸きあがってきて身震いして、
そう感じたと思うと同時に、自分でも驚くぐらい素早く、俺はタカ丸を押し倒していた。
叫ぶまもなく冷たい床に勢いよく倒れたタカ丸は驚いて目を瞑っていて、
俺はその間に今度はそこの中に舌を侵入させた。
「んっ…!」
「耳、弱いんだお前」
「違…、ひぁッ」
慌てて否定しようとしたタカ丸にもう一度耳たぶに甘噛みすると、今度は肩をびくっと揺らしてあきらかに反応した。
眉を寄せてぎゅっと目を瞑って、無意識に俺の制服の裾をぎゅっと掴む。
男に向かって可愛いなんていう奴の頭は狂ってるんじゃないかと思っていたけれど、
(あぁ)
なんだかこうやって上から、こんな角度で見てみれば意外と、
(欲情する…?)
なんて、俺も、全く狂っている。
「…なんかお前の気持ちわかったかも」
「へ?や、ちょっ…「やだ、待てない」
先ほどのタカ丸の言葉を拝借してそう言ってやると、タカ丸がちょっとだけ潤んだ目で俺を見上げた。
ぞくぞくっとまたしても背中が震える。
(…どうしよう。
今度からこいつに何処でも盛るななんて言えなくなるかもしれない。
だってその顔はない、ないって…!)
「…もう、今日は俺の好きにさせて」
「っ…!」
耳元でそう言ってやると、その吐く息にすらタカ丸は喘いで金髪の下で頬を赤くする。
いつもの余裕綽々な顔はどこへいってしまったのやら。
こいつが今更誰かに抱かれることにどうしようもなく恥らうような奴じゃないってのは百も承知だ。
じゃあそんなに顔を真っ赤にして、目ェ潤ませてこっち見上げているのは、
(…なにかしらの、期待?)
なのだろうか、と自分勝手な思考で導き出した答えは、あながち間違ってはいない気がした。
こんな弱点知ってしまったら、全然性に合わない、例えば愛をささやくとかそんなこともできそうに思えてしまう。
(愛してる、とか)
いつもなら口が裂けても言わないようなことが口をついて出そうになった。
でもそういうのもたまには、
こんな風に煽られたときは、
「なぁ…タカ丸、」
いいかもしれない。
***
タカ丸の一番の性感帯は耳だと思うのですよ。
久々知はむっつりだといいと思うのですよ。
元ネタは真冬の茶会でしたorz(書いたの5月ですよ)