ふと、たまに何処か、よく分からないところを見ていることがある。
何処を見ているのか、何を考えているのか、俺には分からなかった。
違う人間なのだからそんなこと分からないのが普通だと思っていたけれど、
それと同時に知りたいと、ほんの少し思っている自分がいて。
だから教えて欲しくて、一度、本人に聞いたことがあった。
それは確か、何年も前の桜の綺麗な春のことだったと思う。
たまたま長屋の廊下で立ち止まり、空を見上げている後姿を見かけて
「先生、どこ見てるんですか」
一言そう問いかけると先生は振り返り、そっと、優しく笑って言った。
見てごらん、いつか、私の高さになったら分かるから
それから何度も季節が繰り返し、去っては来て終わっては始まった。
真新しい制服っていうのはどうも慣れていなくって、着心地がよくない。
まだ汚れもしわも少なくて綺麗すぎるから。
こうやってぼやくのも5回目、もはや通過儀礼みたいなものだ。
最高学年をあらわす深い緑、まだもっと餓鬼だった頃に少なからず憧れた制服を着て、
同じだけの数の春を迎えてきた俺の背は、今は随分大きくなった。
「鳥の巣だったんすね」
あのとき見たのとほとんど変わりない後姿にそう言って近づくと、
先生は小さく笑って、うん、そうだよと、笑う。
隣に並べば、まだ先生の方が背は高いけれど視線の高さはあまり変わらない。
だから、今ならば見える世界は、きっと同じもの。
まだ一年生だった当時は見えなかったけれど、今ならば梁の上にひっそり作られた鳥の巣を見ることができた。
親鳥はどこかへ出かけているのか、そこに動く影は見当たらなかった。
「毎年この季節になるとな、卵を産んでいくんだ。
今年も多分、もうすぐしたら雛がかえるだろう」
そう語って目を細めた先生を盗み見た。
相変わらず俺よりもずっと大人のその横顔は、優しい。
「きり丸、」
先生に名前を呼ばれて振り返ると、
ぽん、と髪を撫でられた。
子供扱いしないでくださいよ、と文句のひとつでも言ってやろうかと思ったけれど、
ほんの少し見上げた先の先生の顔が何か言いたそうで、でも何が言いたいのか分からなくて、
微かに端を持ち上げた唇が作る言葉を待つしか、俺にはできなかった。
「大人になったね」
実際はどうか知らないけれど、感覚としてはずいぶん長い沈黙の後、先生はそういった。
「進級おめでとう」とその後に続けて、それから遅刻するなよ、と1年のころから変わらない注意をして、
振り返って行ってしまった。
なんだよ。
視界が同じになったって、
身長がずっと近づいたって、
結局俺は先生のことが分からない。
先生のくせに教えてくれない。
なんで大人になったね、とそんなに寂しそうに笑うのか。
俺には分かんないよ、先生。
身長は近くなったって、俺の方がいつまでも子供なんだ。
先生から見た俺はいつまでも雛のままなのだろう。
見上げた鳥の巣にはまだ生まれていない雛が眠っているのだろうけど、
俺はそんなことよりもただ、ずっと、あなたが知りたいんです。
***
きりちゃん視点。
土井きりはお互い気持ちには気付いているけど→←みたいな感じがいいです。
むずがゆく、むずがゆく。