※『まぼろし』の翌日の話。
雑踏と話し声、喧騒としている。
学園も騒ぎは耐えないけれど、また別の騒がしさがあるな。
町に来るのはすこし久しぶりだからより一層そう感じる。
すれ違う人ごみのなかについ、人を探す。
町といってもやっぱりあれだけの明度の髪はなかなか見当たらず、
もし万が一あの人がいたら、探す気など無くても勝手に視界に捉えてしまうと分かっているのに、
それでもむきになって周囲を見渡した。
それもこれも、昨日実習から帰った後の委員会で、伊助から興奮気味に聞かされた話のせいだ。
あの人が学園を訪れたこと、また抱きしめてもらったこと、少しだけだが話をしたこと。
未だ変わらない金髪がとても伸びていたことや、すごく良い匂いがしたこと、
あの人を知らない低学年にまで細々と説明しながら、嬉しそうに話してくれた。
「残念でしたね、会えないなんて」
伊助は俺にそういって苦笑して、そのあとふと表情に影を落とし、
「今でも忍者をやっているのかとか、先輩とどうなっているのかは、はっきり分かりませんでしたけど」
聞けませんでした怖くて、駄目ですね、と俯いた。
俺はそうか、と1つ呟いて、
「あの人まだあの馬鹿みたいな金髪やめてないのか」
と笑うことしかできなかった。
伊助も失礼ですよと言いながらも笑い、その日の委員会はずっとあの人の話ばかりだった。
一年以上前にこの学園を卒業した人。
そもそも途中から編入してきてそれまでは町で髪結いをしていた人だ。
当然、同じ委員会に入ってきたって、その頃一年だった伊助よりも何も出来なかった。
「ごめんね」と「これはなに?」「どうすればいい?」が口癖で、なんでもふんふんとめもをとって、
「ありがとう」「すごいねぇ」といつも高いところでふにゃりと笑って、忍者に向かない金髪を揺らして。
甘酒代なんて計上するし、委員会のたびに抱きついてきて子ども扱いするし。
あの人、今思ってもほんとに意味が分からない。
恋仲になったという相手の、あの先輩のことは素直に尊敬してたけれど、
あの人はどうも先輩という風には思えなかった。
たまに年上なんだなぁとは思うことがあっても、先輩という認識とは異なっていた。
それは五年六年に進級しても変わらず、基本的にはあの人はあの人のままだった。
(ただ、門で人をまつ日課ができたらしかったけど。俺も伊助も暗黙のうちに知らないふりをしていた)
たまに年上だと認識する回数が少し増えただけで、あの人はやはり先輩じゃなかった。
それでも断じて、嫌いだったわけでも頼りなかったわけでもない。
人当たりとか学園に慣れてきてからのあの人の成績はすごいと感じていたし。
だから、ほんの少し、嬉しそうにあの人の話をする伊助が羨ましく思えたのだ。
すれ違う足音が耳鳴りのようで気分が悪い。
人に酔いそうになって、思わず足を止めた。
耳の中を通過する、脇の店から客を呼ぶ声、年齢層の高い女性達の井戸端会議。
町なんて平和なものだと思っていたけど、ここはここで生き難い。
あの人はこんな町でも、あんな学園でも、上手く生きていたのか。
髪結いはしているのだろうけど、父親の店は継がないと言っていたらしい。
今でもあの店で働いているのだろうか。
足が有名な髪結い所を目指しだした時、ふと、
行先の方向から歩いてくる人の中に、日の光をちかちか反射させる一層人目を引く金髪が見えた。
青空から落っこちてきた太陽みたいな髪。
昨日話した時の伊助のその形容は綺麗過ぎると思ったけれど、そうではなかったらしい。
あの人だ、あんな馬鹿みたいに眩しい髪、あの人しかいない。
顔を確認するよりも早く駆け寄って、
通り過ぎる直前にその人の手をとった。
「タカ丸さんっ」
「三郎次くん?」
振り返った拍子に腰元で揺れる毛先が跳ねてなびく。
タカ丸さんはふにゃりと相変わらずの表情で、まだやっぱり俺を見下げていた。
「久しぶり!」
そういって腕を伸ばしてくるものだから、思わずその頭を押し返した。
くしゃりと、懐かしい金髪が指に絡まる。
「こんな往来でよしてください、伊助じゃあるまいし」
もう抱きつかれて喜ぶような歳じゃないんです、と抗議すると、
タカ丸さんは眉をよせて苦笑しながら、意地っ張りだなぁと笑った。
顔立ちは少し大人っぽくなったように思えるけど、相変わらずゆるやかな笑い方をする。
「別に、そんなことありません」
「三郎次くんのそういう素っ気無いところ、兵助くんにちょっと似てるよね」
タカ丸さんが軽やかに発した名前に、身体が強張る。
心臓に悪い。
随分久しぶりに聞いた、タカ丸さんがあの先輩の名前を呼ぶ声。
ああ今でも、その名をそうやって、呼んでいるんだ。
「ねぇ時間があるなら少しお話しない?
こんなところで偶然会えたのもなんだか嬉しいし。
お茶とお団子くらいなら奢るから」
ね、相変わらず見知った顔でタカ丸さんは笑い、
俺が構いませんよと答えるなり、すぐさま腕をとって、
じゃあ美味しい茶屋しってるから行こうと歩き出した。
伊助の言っていた華やかな香の残り香に誘われ、俺はタカ丸さんの後ろを歩いた。
連れて行かれた先の茶屋で、お茶と団子を出され、遠慮なくそれを頂く。
タカ丸さんは最近学園はどう?とか委員会は?とまくしたてるように次から次へと聞いてきた。
そのくせ自分のことは話さない。
もしかしたら話せないのかもしれないと思ったが、
さすがに今忍者をしているのかと問うのは悪いかと思い、俺は質問に答えながら団子をほお張った。
「そっかぁ、昨日は実習だったの。
大丈夫だった?怪我はない?」
「まぁ簡単なものでしたから大丈夫です」
「三郎次くんは優秀だもんねぇ。
学園にいたときからそう、委員会の仕事も勉強も三郎次くんの方が出来たもの。
いろいろ教えてくれたよね、ありがとね」
その言葉を聞きながら、俺は内心息をつく。
確かに最初はあんた、何にもできない人だったけど、
努力家でなんでもすぐに吸収して、学年が1つ上がるころにはもう俺より知識も力もあっただろう。
忍者をしているのか明確には分からない今じゃあどうだか分からないけれど、
それでも身長と経験は未だ適わないし、歳は絶対に追いつけない。
「タカ丸さんはよくやってましたよ。
最初考えていたよりもずっと、頼れる人だった」
すんなり、零れるように本心が、褒め言葉になって出た。
そう思ってもどうしてだろうか、この人は先輩とは思えない。
けど、タカ丸さんはもう一度「ありがとう」と昔の口癖を呟いて笑った。
「あ、もうそろそろ休憩時間もおわりかな。
父さんに怒られるから戻らないと。
三郎次くんも委員会のお買い物まだ残ってるんでしょ?」
そういって立ち上がろうとした拍子に、
左右非対称の長い髪が隠していた首筋の赤い痕が目に入った。
(あ、)
そういう相手がいて、その相手として思い浮かぶのはただ1人。
人の溢れる町でタカ丸さんを好いている人なんていくらでもいるだろうけど、
タカ丸さんの相手は絶対的に唯1人だと思った。
おかしな話だがそう確信できる。
「タカ丸さん、」
「ん?」
「久々知先輩、お元気ですか?」
俺の言葉にタカ丸さんは少し目を大きくして、
それから目線を一度落として思い当たる節を目にしたのか、
次に顔を上げた時には眉をさげて、困ったように、しかし幸せそうな笑みを浮べていた。
昔より少し前髪も伸びていたけれど、その表情が翳ることは無い。
「…うん、元気。
お仕事も頑張ってるよ」
俺はそうですか、と素っ気無い言葉だけ返した。
次の言葉は見当たらない。
タカ丸さんはお金をおいて、
「じゃあまた、伊助ちゃんや土井先生や皆にもよろしくね」
そう言って頬を少し赤くしたまま笑って振り返り、
長い金髪を揺らめかしながら歩いていった。
俺は残り香だけを置いてまた先を歩いて行ったあの人に息をつく。
あの人のためについたため息なんか、数え切れやしない。
火薬の壷を落としたときもそう、所かまわず抱きついてきたときも、卒業してしまったときもそうだった。
金髪がまだ目蓋の裏でちかちかと煩く輝いているようで目眩がする。
目を瞑って再度ため息。
ああ、その馬鹿みたいな金髪と髪型、いい加減どうにかなりませんかくらい言ってやればよかった。
俺の言葉くらいであの人が自分の髪を変えることなんてないと、分かっているけど。
学園に帰ったら俺も伊助に話そう。
あの人たちは今でも変わらず煩わしいくらいバカップルだと言って、笑い話にしよう。
「はいはい、どうぞ勝手にお幸せに」
我ながららしくない弱弱しい声と苦笑と共に、そう呟いた。
ああ、今度は伸ばされた腕を何も言わずに受け入れよう。
どこだっていい、どんな往来でも人ごみの中でもどんなところでも構わない。
学園にいたころみたいにあの人が俺を抱きしめてくれさえすれば、なんだって笑える気がした。
***
三郎次→タカ丸に挑戦……三郎次、好きですよ…!
久々知が卒業した後から微妙に気にかかってきて、タカ丸が卒業してから気持ちに気付いた感じ。
三郎次は精神的に久々知より大人っぽければいいと思う。でもあくまでぽい。
いろいろ諦めてるし、それほど心底惚れてたわけじゃないって感じで自己完結しそうです。
あっさり仄かで、叶わないし叶えようとも思わない初恋。