君を葬る自信がないんだ

 

淡月か。
薄闇の空を見上げ、八左ヱ門は濡れた髪を掻きあげる。
どこぞの髪結いに見つかりでもすれば乾かすようにとしこたま怒られるのだが、
それでも今更になってその習慣を身に着けるのは手間に感じて仕方ないのでいつもそのままだ。
そんな自分に比べれば兵助は随分まめになったものだ、と思う。
今度、毎晩専属髪結いを部屋にはべらすなんてどこの大名だとからかってやろう。
そう思案しながら部屋へ向かう最後の角を曲がったところで、八左ヱ門は動かない人影を見つけた。
暗がりで色の落ちた茶色い髪とその横顔は良く知ったもので、2つあるうちの1つだった。
片割れのどちらであるかは長年の付き合いと、浮かべた表情ですぐ分かる。
八左ヱ門はため息を落とし、その影に近寄った。
 
 
 
「雷蔵らしからぬ顔をしてるな、三郎」
 
 
肩を叩いて笑みを向けると、振り返った三郎は顔をしかめた。
まるで見つかりたくなかったかのように振舞うが、それならなぜこの部屋の前で座り込んでいるのか。
八左ヱ門は笑みを呆れた苦笑に変えた。
 
 
「で、なにをしたんだ」
なにが」
 
 
子供のようなふてた表情を浮かべている三郎は、唸るような低い声で返すが、
八左ヱ門は気にする様子もなく三郎の隣に腰を下ろした。
存分に濡れた髪から水がはね、それを頬にうけた三郎は不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。
そう気を悪くするなと八左ヱ門は景気よく三郎の背を叩いた。
「痛ぇ」と毒づく声も不機嫌そうで、いつもなら返ってくる悪態もない。
どうやら随分気がめいっているらしい。
 
 
「話せ」
………
「話せよ、三郎」
 
 
三郎の様子がおかしいときは十中八九雷蔵絡みで、
さらにここまで滅入っているときは恐らく、ただ事ではない。
よっぽどのことが無い限り三郎が弱みを見せ、わざわざ部屋の前で待つことなどないのだ。
八左ヱ門はまっすぐに三郎を見、三郎はその視線からするりと逃げたが、
さらに後を追い、八左ヱ門は三郎の雷蔵を模った横顔を見やる。
その表情は夜の闇よりずっと暗く冷たく、悲しい。
三郎は小さく「俺は、」と前置きし、横顔を俯かせて口を開いた。
 
 
「俺は雷蔵をみとることも、雷蔵にみとられるのも嫌だ。
 そんな覚悟、俺にはない。
 だからそれならいっそお前の手で、死ぬときはお前の手で逝かせてくれと」
言ったのか」
「そしたらぶん殴られた」
 
 
ほれ、と頬をさす。
夜の闇でよく見えないが、きっと真っ赤に腫れていることだろう。
心底呆れて肩をすくめながら、八左ヱ門は「馬鹿だな」と低く言う。
諌めるようなその声に三郎は自嘲した。
 
 
「血を浴びすぎた。
 そのせいで頭が馬鹿になってるだけだ。
 じゃなきゃ、こんなこと、誰にも言わん」
そりゃ言わねぇだけでそう思ってるってことかよ」       
普段は揚げ足を取られることなどない三郎だが、今日は違った。
 
 
三郎は八左ヱ門に目をむけて小さく笑む。
その目の鋭さと唇の自らを嘲るような笑みに、思わず背中が緊張した。
表情は闇に紛れて影を帯びていたが、八左ヱ門は夜目がきく。
もとより五感が鋭いのだ。
だからもちろん三郎の血の臭いには気づいていたが、今夜まで忍務へ出ていたのだ、当然に思っていた。
だが、もうとうに慣れているものかと思っていたこの男が死を感じるほど過酷なことがあったとは想像し難い。
天才と呼ばれる鉢屋三郎だぞ。
一体どれほどの血でその身体を汚したのか。
いつのまにか握っていた拳に意図せずさらに力がこもる。
三郎は再び、ゆっくり口を開いた。
 
 
「いくら束になってかかって来ても、俺は倒れなかった。
 俺の敵はすべて俺に殺されるのに、俺の血は流れなかった。
まるで化け物だ。
この身はまるで、死なないし死ねない化け物のようだと思ったよ」
 
 
低い声で自嘲するような口調で言う三郎の表情に、すでに雷蔵の面影は無い。
そのままの、鉢屋三郎の、苦しげな表情がむき出しになっていた。
確かに血を浴びすぎて馬鹿になっているようだ。
いつもなら忍務から帰ってきてもしれっとした顔をしているのに、今日はなんと弱弱しいことか。
 
 
三郎は冷酷ともいえる位、忍として必要な冷静さと迷いの無さを持っている。
それに加えて忍術の腕も確かで変装という得意もある。
だから天才と称されるのだ。
だが、それが今は自分を恐れ、化け物だと比喩し、悩んでいる。
 
 
だからちがう。
八左ヱ門にははっきりとそう断言できた。
 
 
「人の命を奪うことを迷うことは人として当然の感情でいい。
三郎、お前は化け物じゃねぇ」
 
 
睨むに等しいほど強く、八左ヱ門は三郎の双眸を射止める。
それを受けた三郎はほんの少し目を伏せた。
八左ヱ門にはそれがひどく安堵したような表情に見えた。
 
 
「八左ヱ門、」
 
                                     
しかし、いつになく低い声で名前を呼び、三郎は顔を上げて淡月が浮かぶ空に目をやった。
その目は本当にそこの景色を捉えている様子ではない。                          
 
 
「だが、俺を殺せるのは雷蔵だけだ」
 
 
三郎は、はっきりとそう言った。
それなのに頼りない声に聞こえて仕方ない。
懇望するようなそれに八左ヱ門は顔をしかめた。
 
 
天才と呼ばれ、人より早く人を殺め、人より多く人を殺めた。
鉢屋三郎は間違いなく優秀な忍者だ。
だが、八左ヱ門には幼いころから共に過ごす仲間で、友でしかない。
それは雷蔵も、兵助も、級友たちも同じことだ。
 
 
「言っとくが、俺はお前も雷蔵も、みとるのなんか御免だぜ。
 そんな心中まがいなこと、考えるだけでも胸糞悪ぃ」
 
 
いつになく冷たい口調で吐き捨てるようにそう言って、八左ヱ門は三郎の肩を掴んだ。
体格なら自分よりも細っこいそれは、とてもじゃないが化け物には程遠い。
三郎の目と八左ヱ門の目が、互いに睨むような鋭い眼光を宿して交わる。
三郎は、顔をしかめた。
 
 
ああ、ずいぶん久しい。
いつぶりだろう。
この男の泣きそうな顔なんて。
 
 
「雷蔵に先に死なれて困るのなら、お前が守り通せ。
 雷蔵はお前を生かし、お前は雷蔵を生かす。
 そうすりゃ万事解決だろうよ」
 
 
殺されたいなど口先だけだ、そんなことはとっくに分かっている。
事実は、ただ、共に生きたいだけなのだ。
それを難しく伝えてしまうのがこの捻くれ者の短所である。
だが、そのことは片割れが一番知っているに違いない。
真意にも気づいた上で、それでもその言葉が悲しくて怒り、手を挙げたのだろう。
今頃冷やすものでも用意して部屋で待っているに違いない。
 
 
八左ヱ門は肩を掴んでいた手を離し、その手でぐしゃぐしゃと三郎の髪を乱暴に撫でる。
太く骨ばった指に、三郎は唇を尖らせて鬱陶しそうな目で八左ヱ門を睨んだ。
その目にも表情にも、もう鋭さや薄暗さは消えていて、
三郎はいつものように「触るな馬鹿力!」と悪態をつき、八左ヱ門は目を細めて小さく笑った。
 
 
 
話したことも聞いたことも、全て口外するなよ」
したらボコすからなと立ち上がって背を向けた三郎の、首が赤い。
雷蔵を装った男の、本物の皮膚だ。
きっと聞きたいと望んでいた言葉が聞けて嬉しいのだろう。
八左ヱ門はこみ上げてくる笑みを押し殺そうとしたが、あまりにおかしくて表情に滲んでくる。
照れ隠しが下手な男だ。                                      
踵を返し自分の部屋へ帰っていこうとする三郎の背に小さく笑みを向けた。
 
 
世話の焼ける奴だと後姿にぼやき、一人きりになった廊下で再び月を見上げる。
薄雲が風で飛ばされたのか、月光はより強くなっていた。
忍ぶには向かない夜だが、あの赤い首を見れただけでも十分だ。
八左ヱ門はまだ半乾きの髪を掻き上げながら、
朝になったらぶん殴られた頬の赤みを見てからかってやろうと笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  
  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  
 
 
 
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お題「君を葬る自信がないんだ」(揺らぎさま)
次の日になったら鉢雷はいっつも通りで、竹谷も知らん振り。
久々知は結構鋭くて、三郎の頬とか雰囲気とかで色々感づくけど何も言わない。
5年はすっごい仲いいけど、聞かれたくないことには突っ込まない感じの暗黙の了解があればいい。
三郎はたまにすごく不安定になって、竹谷か久々知のところで弱みを見せる。
叱られたいとか指摘されたい時は久々知のところで、漠然となやんでる時とかは竹谷のところに行くんじゃないかと思います。