夜も更けたころだった。
兵助は、久しぶりに分厚い本を雷蔵から借りて読みふけっていた。
静かに本を読んで過ごすなど、ここ最近は邪魔者がいてできるものじゃなかった。
今日は奴がいない。
約束をしていなくてもひょっこり、
勉強を教えてほしいとか髪を整えたいとかそんな口実で、毎日のように現れてきた奴が、だ。
理由は分からなかった。
兵助は次の頁をめくった。
半分くらいまで読み進めたものの、この本の内容を覚えているのは夜の始まりに読んだ冒頭部だけで、
時間がたてばたつほど意識をもっていかれてしまった。
自覚はあるのだ。
会いたいと思っていることも、会いたいのならこちらから出向けばいいことも。
ただ、なんとなく癪だ。
それに、どんな顔であいつの部屋にいけばいいのやら。
もうきっと寝ているはずの時間だ。
わざわざ会いに行かずとも、明日になれば嫌でもあの金髪を見るのだ。
兵助は、夕刻、委員会の顧問から言われた「明日の委員会」の内容を思い出しながら考えた。
明日になれば会える。
それでも、夜が長い気がして、兵助は小さく息を付いた。
そろそろ寝てしまおう。
本はまた邪魔者がいるときに邪魔されながらでもいいから読み直そう。
開いたページに栞を挟んでとじ、その、ぱたん、という音と同時に、兵助は振り返った。
蝋燭の灯が震えた。
誰かが近づいてきているのだ。
小さな話し声が聞こえてきて、反射的に気配を読んで確かめたが、兵助は思わず顔をしかめた。
なぜ、あの人たちが自分の部屋を目指して歩いてくるのか。
とくに夜中に訪ねられるような深い関わりはない。
もしも「5年生の寝首をかく」という類の迷惑極まりない夜半実習でもないかぎり、
兵助に思い当たる理由はなかった。
とはいえ、実習なら気配を押し殺してくるだろう。
そこまでなめられたなら堪らない。
兵助は分厚い本を静かに机の上に置き、立ち上がった。
嫌な予感がする。
ため息をつきながら、兵助は部屋のふすまを開いた。
「よぉ、久々知」
「…なんの御用ですか」
頭をかきながら困ったような笑みを浮かべたのは、6年である食満留三郎。
隣には無言の中在家長次もいて、兵助はやはり、と息をついた。
この2人に訪ねられる理由など思いつかない。
兵助が自然としかめっ面を浮かべてしまうのも無理はない。
留三郎はなにか言いにくそうに、視線を隣の長次と対面する兵助に行き来させては、
さらに困ったような苦笑いを深くする。
兵助が首を傾げて、不審気に眉間のしわを深くしたものだから、
さすがに留三郎も観念したように小さく息をついた。
「斉藤タカ丸のことだが、」
「は?」
兵助は目を丸くする。
なぜ、留三郎からタカ丸の名前が出るのだ。
たまらず「どういうことでしょうか」と先を促すと、
留三郎は兵助の、無自覚であろう、睨むような視線にまたも苦笑した。
「今日、小平太が忍務先でいい酒をもらってきてな。
たまたま仙蔵が髪を整えさせに呼んでいた斉藤も巻き込まれちまって、
さっきまで宴をしていたんだ」
斉藤はあまり乗り気じゃなさそうだったんだが奴らがな、と罰の悪そうな顔をして、留三郎は続ける。
「で、挙句、斉藤があまりにも控えめに飲んでたもんだから、
仙蔵と小平太が面白がって潰そうと…」
「…ああ、分かりました。
説明わざわざありがとうございます」
その光景がありありと思い描ける。
さすがに相手があの七松小平太と立花仙蔵では仕方が無いとしか言いようが無い。
兵助も、留三郎と同じような苦笑を浮かべた。
「…それにしても、あいつも酔うんだな」
「えっ、あ、お前、見るの初めてか」
「はぁ、そうですけど…」
タカ丸が酔ったところを見たことはなかった。
本人はそんなに酒は強くないよと言っていたけれど、それでも兵助よりは強かった。
なにより、人付き合いで飲むことが多かったらしいタカ丸は、自分の飲める量を心得ていたのだ。
相手が相手だから潰されるのも無理はないが、珍しいこともあるもんだ、と兵助は思っていた。
しかし、留三郎は兵助の呟きに、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「…そうか、それはなんつーか…悪かったな」
「え?」
「いやなんでもない!
とにかく迎えに行ってやってくれ。
俺たちはそれだけいいにきただけだから」
そう言って留三郎と長次は踵を返した。
どうせならあんなひょろいの、連れて来てくれればよかったのにと内心呟きながら、
兵助は「どこへ行けばいいんですか」と2人の後姿に問いかける。
「仙蔵と文次郎の部屋だ」
長次が無表情でぼそりと呟いた声は、暗い廊下に小さく反響した。
***
6年とタカくくタカを絡ませようという話。
タカ丸がいつも部屋に来てくれるので久々知が自分からは行きにくくて、
めったなことがないと自分からは行かないんじゃないかという妄想。