向かった先の部屋は、戸があけられっぱなしで、ぼんやりと薄明かりが漏れていた。
兵助は、意を決する、という風に、小さく深呼吸して、その部屋に足を踏み入れた。
「失礼します」
暗い部屋に、その声だけが響く。
しかし、そこにいるのは兵助だけではない。
部屋の中央ではぐったり、金色の髪を床に散らばらせるようにして眠るタカ丸と、
もうひとつ、蝋燭の火影でゆらりと揺れる影があった。
兵助は、その方を見やった。
視線の先で、黒い髪の奥の目がくっと細まる。
「わざわざご苦労」
くすりと笑いながら、おろした長い髪をふるわせ、立花仙蔵は笑った。
白い肌は、酒がはいっているだろうに、相変わらず透き通るほど白いまま。
薄闇ではそれがさらにはっきりと目に映る。
しかし兵助は、それを気にすることは無く、口を噤んで、杯をかかげる仙蔵を睨むように見ていた。
「斉藤タカ丸、こいつはおもしろいな」
「…そうですか」
兵助は淡々とした声で返す。
不機嫌な色を微かに浮かべてはいるものの、その内側はさほど晒してはいない。
なるほど流石優等生だ、と仙蔵は笑みを浮かべた。
「髪結いとしての経験か生まれもっての性かは知らんが、
人に取り入るのが巧いし町人にしては肝も据わっている。
なんせ、もとは辻刈りもしていた男だ」
仙蔵は一口、酒をあおる。
それを横目に兵助は床で丸くなって眠っているタカ丸に近寄りしゃがみ、その顔を覗き込んだ。
ふにゃりとした表情は変わらないが、いつもより頬に赤みが差している。
同じく赤い唇を薄く開いて、香りたつ息を小さく吐き出していた。
酔ってつぶれている様なんて初めて見た。
「…ずいぶん褒めるんですね、こいつのこと」
「まあな。
うちのあの4年が執着するほどだし、私も気に入っている。
その資質や髪結いの腕をいかすのなら、本来我が作法に来るべき人材だ。
だが断れてしまったよ、今日も。
ずいぶんと惚れられてしまったものだな、久々知」
両手を挙げてお手上げ状態を示しながら、仙蔵はふっと唇を吊り上げる。
兵助はそれに大きくため息をつく。
「先輩」
乱れたタカ丸の髪に触れながら振り返った兵助は眉を寄せ、
闇によく似た黒い髪の奥から、きっと睨む目線を仙蔵に向けた。
低い声にこもっているのは怒気。
あからさまに苛立っている優等生に、仙蔵はおもしろそうな笑みを浮かばせた。
「惚れてるのはこいつだけじゃないんです。
生憎、俺もなんで」
兵助の眼光が薄暗い部屋で光る。
いつになく低く尖った声で、威嚇するように続ける。
「何の嫌がらせか知りませんけど、こういう事はやめてください。
無駄です、絶対、渡しませんから」
兵助は、タカ丸の首の後と膝の裏に腕を回し、息をつくと同時に持ち上げた。
勢いよく立ち上がり、ぐらつきそうになる体を足元で踏ん張ってなんとか堪える。
完全に意識の無い自分より図体のでかい男を持ち上げるのは容易ではない。
おもわず兵助は顔をしかめたが、顔には出しまいと、すぐにその表情をひっこめる。
「…失礼します」
兵助は仙蔵を一瞥すると長い髪を翻しながら小さく言った。
タカ丸を抱きかかえる腕に力が入る。
しかめっ面を覗かれるのは癪で、兵助は早足でその部屋から出て行った。
「おい、水…」
部屋を出てすぐのところで水の入った湯のみを持った文次郎とすれ違ったが、
兵助は小さく会釈だけすると、タカ丸を抱いてその場を立ち去った。
文次郎は顔をしかめて2人を見送り、
ああも不機嫌そうな後輩の、そうなった理由についてため息をつきながら、自分の部屋に帰った。
「…ふらついてたぞ」
文次郎が兵助が歩いていった4年長屋の方を顎で指し、
未だ酒をあおる仙蔵に向かって言った。
仙蔵は、こらえ切れない、という風に声を上げて笑っていた。
「くくっ…」
「後輩を弄ぶな」
「だって、面白いじゃないか。
あんなわかりきったことを今更、公言するなんて」
「ならお前も言わせるなよ」
「今更だからおもしろいんだろうが」
あの優等生がどっぷりと、傍から見ても容易く分かってしまうくらいに、
あのおもしろい男に入れ込んでいるのだから。
しかも、堪えきれずにぞくりとするような睨みさえきかせていったのだ。
上出来、この上ない。
「だがしかし、まだ終わっていないぞ。
夜はまだ長いのだからな」
仙蔵の笑みと文次郎の同情するため息は、誰にも知られず、闇に蕩けて消えていった。
それを知るべき2人は今頃、4年長屋にいるのだろう。
***
6いは、けっこうもんじがまともならいいです。
仙さまは作法のS。そして愉快犯。
仙さまになびかない久々知とか、
タカ丸を姫抱っこする久々知とかが書きたかったので本望です、色々。
仙さまは断られるの知ってるのでかるーい感じでよくタカ丸を誘ってて、タカ丸もえーって笑いながら断ってる感じ。