耳鳴りみたいな蝉吟が遠くで響いている。
真っ青の空の天辺から照り差す太陽がひどく眩しい。
きり丸が桶にはった水を指ではじくと、ぬるい水は波紋を描いて広がっていった。
水の揺れる音が蝉の音に紛れて小さく響き、
ああ、こういうのをもしや風流というのだろうかと考えた。
顔を上げれば、竹でつくった支柱に蔓を絡ませた緑が目に入る。
紺色と赤紫と水色の朝顔の、つぼみ。
すっかり大きくなったその膨らみは今は眠るようにしぼんでいるが、
明日も、透き通った朝日を浴びれば、また開く。
きり丸は水色の大きなつぼみに触れてみる。
濡れた指先で触れると、折りたたまれた花びらに雫が流れた。
図書委員会の隠れた伝統となっているのが、夏休みになると朝顔を育てるということ。
きり丸が一年だったころ委員長だった中在家長次の育てた朝顔の種を、
つぎの年に不破雷蔵が育て、その後は能勢久作が3年間育て、夏になると花を咲かせ種を残した。
今年はきり丸と怪士丸の番である。
(俺たちは最初で、最後)
来年にはまた後輩が花を咲かせる。
この伝統はいつまで続くんだろうか。
後輩たちも夏が来るたびにこうやって先輩を思い出したりするんだろうか。
日ごと卒業に近づく自分のことを考えてため息なんか落としたりするんだろうか。
(俺みたいに)
きり丸は桶の水を手ですくい、3色の朝顔の根元へそろそろと注ぐ。
乾いた砂がぬるい水をじゅっと音をたてて飲み込んでいく。
まだまだ足りない。
きり丸は何度もそれを繰り返し、水を与えた。
(枯らせたくはない)
「おーい、きり丸、桶は?」
「っあ、今つかってまーす」
きり丸が、家の中から聞こえた声にはっとして返事を返すと、
ひょいと顔を出したのはその家の主の半助で、
彼は昼の日の光を照り返すきり丸の黒い髪に眩そうに目を細めて笑った。
(いつだってこの人は優しく笑う)
「おぉ、かなり立派に育ったなぁ」
朝顔のことを知っている半助の目にも懐かしむような色がにじむ。
よく考えれば、彼の方が卒業した先輩たちと長い付き合いなのだ。
同じ時期に彼らの卒業を見送ったとはいえ、これまではやこれからは違う。
(俺は見送られて、先生はこれからも見送り続ける)
「…よく、育てたね」
朝顔からきり丸へ目線をうつし、
半助は笑いながら、よしよしと頭を撫でる。
(15になったってやっぱりその手は俺を子ども扱いばかりする)
「いつも朝はばたばたしてて、花が咲いてるところ、まだ見たことないな」
お前のアルバイトの手伝いとかでな、と肩をすくめる半助に、
きり丸は見上げて眉を寄せ、苦笑を返した。
(だって先生、お人よしだから)
「なぁ、きり丸、明日は早起きして朝顔見ようか」
半助はそう言って、しゃがみこむきり丸に手を差し伸べる。
白墨を投げさせれば百発百中で、子ども扱いがうまくて、分厚くて、大きな、あたたかい手。
その手をとるきり丸の手に比べると、ずっと大人で、ずっと忍者らしかった。
きり丸は小さく目を細める。
(先生の手、でかすぎ…まだ追いつけない)
「…うん」
「よし、明日が楽しみだな」
半助は笑みを浮かべ、ひょいと手を引く。
きり丸は簡単に立ち上がらされ、そのまま、じゃあ買い物でも行くかと手を引かれる。
少し見上げる横顔はやはり笑っていた。
(やっぱ、優しい)
「んじゃあ女装していきましょうよ。
知ってます?俺と先生、似てない美人姉妹って有名なんすよ」
「なんだそれ!もうこの年でキツイだろー」
「まだいけますって!ギリ!」
手は引かれているだけ。
結ばれているのではない。
この手はいずれ離さなければならない。
(俺だけのものじゃないんだから)
きり丸は朝顔を振り返った。
少しでも光を浴びようと支柱のてっぺんまで蔓を伸ばし、
明日が来るのを待って待って、待ち望ぶ、美しく前向きな姿。
(俺は太陽を待つ朝顔みたいに、なんて、できない。
…ちょっとでもさ、明日なんかこなけりゃいいのにって、思っちまうもん)
***
夏パロ 朝顔×土井きり
土井きりは日常生活のなかでもつい切ないこと考えてそうです。
きり丸の卒業が近づくたびにそういうのは増えて、でも自然になっていって、
どっちかが行動を起こせばハッピーエンドなのに、それがどうもうまくいかない感じ…
どうにもこうにもやきもきし続ける土井きりが好きです。
きり丸は特別なポジションにいるけど、先生はみんなの先生って思ってて、独占はできないとかって思ってて、
先生も先生で教え子として向き合って、その先のことはきり丸にゆだねようとか思ってるとか…
土井きりは大好きですがすごくむずかしいですね^^;
図書委員会についての捏造妄想すいませんでした!