「じゃあ気をつけて。風邪ひくなよ」
「先生こそ。ちゃんと飯くってくださいよ」
ボロいアパートの玄関までの見送り。
駅まで送ろうと先生は言ったけど、俺はいいよそんなのと笑って断った。
そうじゃなきゃきっと、こんな軽口なんかで別れられない。
「バイトしすぎて単位落としました、なんてやめてくれよ」
「どうかなー、そんときはそんときだよ」
「馬鹿。ちゃんと、するんだぞ」
ちゃんと、するよ。
バイトするのも学校いくのも、多少の馬鹿するのも。
一人暮らししながら、先生のいない、綺麗なマンションで。
「……先生、」
先生はきっと俺より先に死ぬよな。
俺より先に老けておっさんになって、俺はそれを追いかける。
でも、それまでには今までの俺が先生といた時間よりもずっと長い時間が必要で、
そしたら先生、先生はその時間を誰と過ごすんだよ。
ねぇ先生。
例えば残りの人生、俺を愛してみるというのはいかがですか。
生徒とかそんなんじゃなくて、俺のこと、ちゃんと見て。
優しい目で、俺を見て。
「きり丸?」
そうやって俺の名前呼んで、
ガキのころ見たいに手つないで、
そういうふうにして、愛してくれよ。
先生はそんなこと、望んだこと、一度もない?
俺はドケチだけど先生が言ってくれさえすりゃ、
俺の残りの人生、全部あんたにあげるのに。
「…なんでもないよ、ごめん、先生」
もう先生とはお別れで、
そしたら俺は残りの人生誰と過ごしゃいいんだ。
そう考えたら、どうしよう、耐えられないかもしれない。
覚悟してたよりずっと辛い。
ああ、どうして、先生、あんたは俺を手放せるの。
「…そろそろ行くよ。じゃあ、先生、」
「あぁ、待って」
泣きそうで、だからさっさと背を向けた俺の手をつかんで、先生は俺をひきとめた。
大きさはたぶんそんなに変わんないのに、
その手の力や逞しさは俺のよりずっと偉大で、俺は好きだった。
次いで、「きり丸」と呼ぶ声も、
あやすようなその優しい声が、俺は好きだった。
顔を上げれば先生は笑っていて、
その微笑はいつだって俺の憧れで目標でずっと、ずっと好きだった。
「鍵は持ったのかい?」
「新しいマンションの鍵はまだ、」
「じゃなくて」
先生が眉をちょっと寄せて困った風に笑うと、
腕をつかんでいた大きな手が離れて、俺の掌を優しく包んだ。
「もう、私は開けてやれないよ」
「は、」と目を見開くと、
右手を優しくとられて小さな金属を握らされた。
自分の手に目線を落とし、俺はその見なれた形に驚く。
「留守のときはそれで入って飯でも作っててくれよ、頼むな」
「え、な、先生、」
何の変哲もない、飾られてもいない、ただの小さな鍵。
このオンボロアパートのこの部屋のこのドアの、鍵。
握りしめればそれは微かに熱を帯びていた。
「ここはお前の家だよ。
いつだって帰っておいで」
大きな手が俺の頭を撫でた。
もう俺、18だっていうのに、まだ子供扱いかよ。
全く、むかついてきたのに笑えてきたし、そのうえ泣けてきた。
「…せんせ、」
「うん」
「やっぱ、駅まで、見送って」
「うん」
涙声が情けなかったけど、先生は何も言わなかった。
ボロいスリッパに素足をつっこんで、先生は立てつけの悪い古いドアを閉める。
金属のこすれるような耳障りな音。
いつもドアを開ければこの音がなって、うるさくて嫌いだったけど、
でもこれを次に聞くときはきっと、うれしくてたまんないんだろう。
「じゃあ、いこう」
がちゃん、と先生がドアの鍵をしめる。
その音は覚悟したよりもずっと、悲しくなかった。
これなら駅までは泣くの、堪えられそうだ。
「…いってきます」
***
「例えば残りの人生、僕を愛してみるというのはいかがですか」(TVさま)
大学生になるきりちゃんが一人暮らししなきゃならないことになった話。
え、高校卒業まで手ぇださなかったのみたいな感じですが、
某土井きり指揮官にはそれでいいと了解をいただいたので。ノット犯罪。未成年。
土井先生は優しすぎてへたれなのにかっこよければ素敵だと思います。
土井きりはきりちゃんから関係を深くするような科白は言えないような気がする…