メロウ 2

 

「いッ!」
 
 
勢いよく浴室の壁に押し付けられた兵助は、
乾いたタイルの冷たさと背中の痛みに小さく呻き声をあげながら、寒々しいタイルに尻もちをついた。
しかしアルコールの作用で曖昧だった意識がはっきりして悪態を口にするするより早く、
耳元でシャワーのコックがひねられる音をうつろに聞いた。
 
 
「ッうわ!!な、水っ!?」
 
唐突に頭の上から激しく降りかかってきた冷たい水に驚き、心臓の動きが乱れた。
急激に収縮して一瞬動きを止めた後、どくどくと大きく早く脈打っていて、
それと同時に借り物のスーツが濡れて重くなって肌にはべりつく。
全身に水を浴びた兵助は、ようやく流れの止まったシャワーを持つ男を見上げた。
その双眸はしかと焦点を合わせてタカ丸を射るように睨んでいる。
きゅっと金属音を鳴らし、タカ丸の指先はコックを逆方向にひねっていて、
かんっと無機質な音を鳴らし、シャワーは冷たい床に落下した。
やけに冷たい音が響く。
 
 
「ああ、やっと目ぇさめた?」
あ?意味、わかん、」
「いいから、黙ってよ」
 
 
タカ丸は感情のこもらぬ声で遮って兵助のゆるんだネクタイをとらえ、遠慮なしに引っ張った。
素早く距離を詰めてくるその顔にはいつものように柔らかな笑みなど微塵も浮かんでおらず、
驚いて目を見開いている間に乱暴に、唇を塞がれた。
 
 
ッ、……ん、んんッ!」
いつもの愛情表現でも求愛行為とも違う、兵助はすぐにそう分かった。
アルコールがまだ抜けきっていない兵助の唇を塞ぎ、
噛みついてくるような唇も歯列をなぞって口内を犯す舌も、まるで窒息死に追い込むように。
あまりにも苦しい。
けれど兵助がその唐突でわけも知れず、いつもとは全く異なるそれを受け入れるはずもない。
 
 
「…っ!」
抵抗に噛みつかれた下唇からは鉄の味がして、親指で己の唇をなぞってみれば指先が赤く色づいていた。
タカ丸は冷めた目で兵助を見下ろし、兵助は怒りの色を浮かべた目でタカ丸を睨む。
 
 
「った
「馬鹿っ、なに、してんだよ、テメェ!」
それ、こっちの科白なんだけど」
 
 
ネクタイを手放しそのまま濡れたシャツがはりついた肌を見下ろしながら、
細い喉元に指をすべらせると、熱にうかされたか、タカ丸から見下ろす兵助の体が小さく震えたように思えた。
顎を人差し指の先でくいと持ち上げると、怒りの中に仄かに浮ついた熱が覗く。
それが自然な反応だといっていい。
自分にだけ見せてくれる反応であるならばそれがどれほど嬉しいことか。
なのに今日は兵助を見下げる自分の目の冷たさに、タカ丸自身気づいていた。
憎らしげに自分を睨んでくる兵助の濡れた髪に触れて抱き寄せて優しくキスをして、
それでいつもみたいに笑ってごめんと謝ればそれでこの苛立ちは消えるのだろうか。
冷静とはいえない脳で考えてみても、その答えはノーだ。
とてもじゃないがこっちから頭を下げようなど、思えなかった。
 
 
「兵助くんはさあ、いつもすぐ俺に馬鹿っていうけど、」
 
 
ぐいっとさらに顎を持ち上げると、歯を食いしばって腹立たしげに睨んでくる兵助と視線が交わる。
きっと次にまた理由も言わずに口づけようとすればまた噛みつかれるだろう。
しかしタカ丸は臆するでもなく鼻先が交わる距離で兵助を睨み返した。
 
 
「あんただって馬鹿だよ。それ、自覚したほうがいい」
 
 
タカ丸は唇に滲んだ血を舐めとった。
その舌は熟した果実のように鮮やかな真っ赤で、
見下ろす冷めきった目とはあまりにも対極にあるそれに兵助はぞっと肌が粟立った気がした。
 
 
 
頭冷やした方がよさそうだね。俺も、兵助くんも」
 
 
 指と金髪がするりと遠ざかる。
他人かどうかを疑うくらい嘲るかごとく冷笑したタカ丸だが、
噛みつかれた唇に触れる長い指が、冷たく笑っている目が、それでも何故か愛おしそうで、
兵助は黙って呆けたまま、振り返りもせず浴室から出て行ったタカ丸の背中を見つめた。
濡れたスーツが心地悪くて、冷たいのに酔った体は火照りが抜けなくて、
ああも冷たく自分を見るタカ丸の内心もこれからの行方も分からなくて、
  
 
んだよ」
 
 
舌打ちする音と掻き乱した髪からしたたる水の音だけが一人きりの浴室に反響した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
財布と携帯だけもって俺は家を出て、
エレベーターを待つのさえ億劫だったから、階段でマンションから出た。
あれだけ濡れていれば兵助くんが追ってくるはずもないのだけれど、
早くどこかへ行かなくては、今だけはもう、兵助くんといるのはダメだって思った。
たぶん俺、いらついてていつもみたいに笑うこともできない。
唇の痛みを親指で押さえながら、真っ暗な夜道を速足で歩いて兵助くんから逃げ出した。
ああ血の味がする。
 
 
やさしいのはいや、うんと苦しいのがいい)
 
 
体に慣れた生ぬるい快楽や優しいキスよりも、
唇に残った痛みの方がずっと、今の俺には君を感じていられるから。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お題「やさしいのはいや、うんと苦しいのがいい」(TVさま)
もとはといえば水ぶっかけ久々知がかきたくなったのがきっかけでした(ぶっちゃけるな)
タカ丸がほんとに無表情だったり冷笑したりするととても怖いと思います。
次回から書いてる奴が個人的に好きすぎる某5年が出張ります!