「慰めて」と俯いて呟いたその男は、
さながら尻尾を垂らしてしゅんと項垂れた犬のようでありながら、やけに冷えきった目をしていて、
いつもの斉藤タカ丸という人間とはおよそ異なるように見えた。
生憎人を慰めるのに向いた性格でもなし、人となりであれば自分よりもずっと良好な雷蔵も今日は留守。
それでも、あまりにもその男の様子が見なれたものと異なっていたものだから、
柄にもなく部屋にあがらせてしまったのだった。
…そのことを三郎は早々に後悔するはめになる。
チューハイ、梅酒、焼酎にワインなど。
バラエティに富んでいたコンビニ袋の中も、今は空き缶や瓶がひしめきあっているばかりだ。
タカ丸が酒に弱くないということは三郎も知っていたけれど、
今の飲みっぷりはまさに、浴びるように、だ。
完全に二日酔いコース決定だなと三郎は呆れたように息をつく。
「お前、明日仕事は」
「んー?サボるよお、唇痛いんだもーん」
「どんな理由だ。このダメ社会人」
「だって何十人にもそれどうしたのって聞かれるんだよー?
いちいち飼い猫に引っ掻かれましたなんていうの、面倒でしょ」
タカ丸のその双眸に再び、玄関を開けたときに見たような冷たい色が滲む。
けらけらと笑うそれは嘲笑に近く、それを向けている先が自身にか他者にかは分からなかったけれど、
どうにも普段の斉藤タカ丸という男には似合い難い冷たいものであった。
「ねえねえ、さぶろーくん」
タカ丸が間延びした声で呼ぶ。
三郎はどうでもよさげにそれを聞きながらタカ丸がもってきた柿ピーをつまんだいたのだが、
突如、にゅっと伸びてきた腕に肩を掴まれ、体重をかけて飛びかかられて、唐突に視界が反転する。
視線の先は天井、背中にはベット。
思わず呆然として目を瞬いていると、金髪がふらふらと視界に揺れながら入ってきた。
三郎はタカ丸をきっと睨んだ。
「ねえ、もしさあ、俺が三郎くんに抱いてって言ったら、どーする?」
「はあ?」
予想だにもしなかった質問だ。
三郎が怪訝そうに真上で蛍光灯の光を照り返す金の髪を見上げると、
タカ丸はふにゃりとゆるく笑って小首をかしげ、しかし挑発的に目を細めた。
「そんで怒る兵助くんに殴られてって言ったら、さぁ」
「断るに決まってんだろ。メリットがなにひとつ無い」
「俺を抱けるよお。いいじゃん、俺も三郎くんも酔ってるし、全部忘れる、でしょう?」
細長い指が顎のラインを撫ぜて、タカ丸が頭上で誘惑するように目を細めた。
しかし、その扇情的を装う目の奥を睨み、
三郎は内心でそれが誘惑でもなんでもない、ただの懇望だと指摘する。
欲情などしていないくせに。
「…あんた、酔いつぶれても記憶なくなんねぇって言ってたろ」
タカ丸は目を見開いた。
それからじっと見つめてくる三郎の面倒くさそうな目に、
力が抜けたように息をつき、苦笑を落として三郎を見つめ返した。
「…よく覚えてんね。何年も前のことでしょ、それ言ったの」
「生憎、あんたと違って頭の出来がよろしくって記憶力抜群なものですから」
人を小馬鹿にするよに鼻で笑う三郎に、タカ丸も眉を寄せて小さく笑う。
最初っから煽られてくれないことなど知っていたし、期待なんてしていなかった。
それでも兵助が自分を求めてくれるという証明でもなければ、
どんどん自己嫌悪やら劣等感なんかのマイナスな感情に埋もれてしまいそうだった。
馬鹿なことをしてると現在進行形で分かってはいる。
タカ丸はそろそろ酔いがまわってきたかなぁと内心呟きながら、
申し訳なさそうに苦笑して、三郎から離れようとした。
しかし、
三郎は胸ぐらをつかんで勢いよく起き上がり、そのままベットの上をタカ丸もろとも反転する。
ギシ、とベットのスプリングが鳴った。
三郎はタカ丸を見下ろす体勢になり、今度は褐色の髪が蛍光灯の光で照らされる。
完璧な形勢逆転に至り、押し倒されたタカ丸は先ほどの三郎同様、大きく目を見開いて瞬かせた。
「…乗り気になったの」
「馬鹿か」
三郎は吐き捨てるように言って、じとりとタカ丸の双眸を睨んでやった。
まっすぐに鋭いそれに、タカ丸はしだいに心地悪げに俯きながらその視線から逃げて行く。
しかし三郎はそうはさせなかった。
器用そうな長い指で顎をつかむと、まっすぐにタカ丸の顔を自分に向かせた。
「戯言を聞いてほしくてきたんだろう。
面倒だ、さっさと言わないのならもう俺はなにも聞かない」
三郎の冷めたような声にタカ丸は目線だけを反らし、
本人曰く飼い猫に引っ掻かれたという傷をえぐるように唇を噛みながら、
小さく、漏らすようなか弱い声で吐き出した。
再び滲んできた血の味にフラッシュバックする、あの人。
「…兵助くんは、もう俺なんていらないのかもしんない」
涙声にも近いそんな声でそう言った。
眉根を寄せて泣きそうな顔を浮かべたタカ丸だったが、三郎はその言葉に目を丸くした後、盛大に顔をしかめた。
ほんとうに戯言この上ないなとでも言いたげな表情で残念なものでも見るようにタカ丸を見下げ、
そのうえたっぷりと大きなため息を落とす。
さすがにタカ丸も不機嫌そうに「なにさ」と三郎を少し睨んで見上げる。
「…あんたなあ。
何があったのか知らねぇが、勘違いすんなよ。
俺はあんたを慰めてやるような関係じゃあないし、そんな義理もない。
ただ、兵助は俺のツレだ。
そんでその兵助があんたを特別に想ってることなんざ、一目瞭然だろうが」
あったまわりぃなお前って今更か、と嫌味までつけたしてそういった三郎の目は、
あくまでも真っ直ぐ、タカ丸を諭すようにして見つめていた。
タカ丸はその視線をうけながら、鉢屋三郎っていう人は意外とつくづくいい人だと思った。
口に出しはしない。
そんなのを聞きたがる人じゃないというのは浅くも深くもない付き合い故に知っている。
三郎は睨むようにタカ丸を見下げ言った。
「兵助を、裏切ってくれるな」
裏切るなんて、どうしてできようか。
こんなにも恋しくてならないのに。
マイナスの感情につぶされそうで一緒にいたくないと逃げてきたのに、
それなのに、それなのに裏切れない。
裏切りたくなどない。
でもこれが一方通行の想いであることが怖い。
求めているのに求めてくれないことが、
寂しがっているのに寂しがってくれないことが、
愛しく思ってならないのに愛しいと思ってくれないことが。
此の上なく悲しいくて怖い。
そしてその上、たとえそれが一方通行であったとしても、
この感情が消えてなくなりそうにないからどうしようもない。
いっそ嫌いになれれば楽なほどに、
(兵助くん、俺は君が好きだよ)
名前を呼べば触れられる距離にいたはずなのに。
それが心地よくって嬉しくってずっと離れるものかと思っていたのに。
振り返って笑ってくれるその表情が今は思い出せない。
それがアルコールの過剰摂取か、目頭にこみ上げてきた熱のせいかもわからないが、
とにかく今はなにかに縋らければ赤子のように泣き叫んでしまいそうだった。
せめて声を出さないように、情けない顔をさらさないようにと、
タカ丸は三郎のTシャツに手を伸ばしてひっぱって、顔に押し付けた。
「っ………」
「はっ!? ちょ、おまっ、え、マジ泣き!?」
「ふっ、……ッぅ、…っ」
「……………服、伸びるんだけど」
三郎は迷惑そうな声音でいったものの、胸元にすがるタカ丸を邪険にする気配はない。
これだから、やっぱり案外いい人なのだとタカ丸は泣きじゃくりながらも考えて、
頭を撫でたり優しい声をかけたりなんかの慰めはしないが、
なにも聞かずに突き放すこともしない距離感に甘えることにした。
小さな文句は自分の嗚咽で聞こえなかったことにして、ぎゅっと両手に力をこめる。
心底望んでいるのはまた別の体温であるなんてことは互いが一番知っている。
それでもやむをえず、夜は少しづつ朝へと向かいはじめていた。
***
わかりにくいかもですがタカ丸が酒とかおつまいどっさりもって三郎(と雷蔵)の部屋を訪れたという話です。
三郎はマジ泣きされると絶対テンパる。
案外泣き顔を見せるとチョロイといいと思います。(妄想がひ土井)
タカ+鉢の場合はどうも鉢タカフラグをたててみたくなりますが、
あくまでお互いに興味の対象であって恋愛の対象ではなくて、関係は友達ではないと思います。
知人以上悪友未満みたいな感じだと思うのです。
でもけっこう仲がよければとてもよいです。鉢屋とタカ丸が大好きです。趣味趣味しくてすいません。
案外情にもろかったりとか実は結構タカ丸に優しくできる三郎とか滾ります…!