携帯電話のデジタルの文字があれから4分を告げたころ、三郎が俯いていたタカ丸にといかけた。
「…つーか、そもそも、なんで離婚の危機になったわけ」
今更ではあるがもっともらしい質問だ。
さすがに理由も言わずに自棄酒に付き合わせたっていうのも悪いと思い、タカ丸は頭の中で記憶を巻き戻してみる。
酒が入っていたせいもあるし短い眠りに落ちたこともあり、曖昧になりかけていた記憶だったが、
唇の噛まれた痕に舌が触れるだけで途端に思い出す、あの時の感情。
あれはようはやきもちとか独占欲とか我儘とかそんな情けない感情で、思い返せば、
(…俺、かっこわるい……)
タカ丸は思わずため息がこぼした。
けど、その原因は全て、あの人。
「……だって、兵助くんって酔っ払ったらすっごい笑顔になったりくっついてきたり迫ってくるでしょ?
ちゅー迫ってきたりとかぎゅーってしてきたりとか普通にするし、
他の人にもああいうことしてるのかもって思うとさぁ、」
「…ちょっと待て」
三郎は前髪をぐしゃりと掻きあげて、俯きながらタカ丸の言葉をさえぎる。
呆れているというか若干不快そうというかなんとも複雑な表情をして頭を押さえていて、
不思議に思い首を傾げていると、三郎はため息と共に顔を上げてタカ丸を見据えた。
「…兵助は酔うと笑い上戸だし変な行動もとるけど、そこまでのは、見たことない」
「へ、」
「というかあいつは酔うと本能のままになるというか欲に素直になるっていうか……
言いたかないが、たぶんそんな酔いかた、お前以外の前じゃしないぞ」
「……は…、うそ、え、じゃあ、俺、」
タカ丸はばっと口元を押さえる。
もしかしたらとんでもなく勘違いしでかしてたのかもしれない、と見開いた目が言っている。
三郎はあほらしい!と心底呆れたように項垂れて息をついた。
そんなくだらない理由だったとは、予想外にもほどがある。
やはり戯言は戯言でしかなかったわけだ。(一瞬でも心配したのが馬鹿だった!)
そう毒づいた三郎は、じとりと責めるようにタカ丸を見上げたのだが、次の瞬間、目を丸くする。
目の前のタカ丸は思い出したようにしゅんと俯き、目を伏せ眉を寄せていたのだった。
「でも兵助くんは……、
俺なら兵助くんと一緒にいられるなら一日がもっと長ければいいのにって思うのに、」
1日が24時間なんて、短すぎる。
毎日毎日短距離走みたいに急かされて急いで、こんなの息切れしてしまう。
もっと時間があれば顔を見て話をして、話を聞いて、目を合わせて笑えるのに。
そう思うから今日がまだ終わらないようにと時間に逆らって馬鹿みたいに粘ってるっていうのに、
「今日なんか、早く終わればいい」なんて、そんなこと言わないでほしかった。
(兵助くん、足りない、君が足りない、全然足りない)
泣きそうになった。
堪えようとすれば唇に昨日の痛みが滲んで逆効果になった。
この人に本気の泣き顔さらすのももう2度目かも、とあきらめかけた時、
すばやく伸びてきた三郎の腕に顎を鷲掴みにされる。
驚いて目を見開くと浮かんでこぼれそうになった涙も引っ込んだ。
「めそめそすんな、そんなもん俺が知るか。
文句あるなら、本人に言えっつーの」
乱暴に顎を掴んで首をひねらされる。
その直後、痛いよなに、乱暴に!と文句を言おうとしたことさえ、タカ丸は忘れてしまった。
これでもかというくらいに目を見開いて、視線をそらせなくなる、黒い髪。
「7分。兵助、体力落ちたんじゃね?」
「っうるさい!こちとら二日酔いなんだよ!」
「おーおー、じゃあさっさとそこにも二日酔いいるから、連れて帰れ」
三郎のからかいに怒鳴る声とか不機嫌そうに眉を寄せた顔とか、
そういういつもの知っている兵助を久しぶりに見た様な気がした。
怒鳴った拍子に黒い髪がふわり、ゆれる。
タカ丸は反射的に座っていたソファーから飛び起きて、兵助を見つめた。
「…へーすけくん」
「この馬鹿!徒歩10分のとこに家出ってなんだよ手近すぎんだろーがッ!
俺、お前の同級生とか…綾部にまで電話したっつーのに、最悪っ!」
「綾ちゃんにまで…っ?」
あの兵助が、あの綾部になんて、なんと信じがたいことか。
タカ丸に懐いている綾部が少々、否、かなり兵助を気に入っていないことはタカ丸も兵助自身も知ることだ。
どんな対応を取られたのか、苦虫をかみつぶしたような兵助の顔をみれば想像するのは容易い。
後ろで三郎もおもしろそうに笑っていた。
タカ丸があまりのことに驚いていると、兵助はさらに眉間に深くしわを寄せてぎっとタカ丸を睨みつける。
「お前なあ!出てくならせめて、怒ってる理由くらい言え!!ほんっと意味わかんねぇ!」
「なっ…!」
素早く伸びてきた腕に胸ぐらを掴まれて乱暴に引っ張られるて、
前髪同士が絡むような距離で鋭い目に睨まれ、タカ丸は思わずひるむ。
しかし、それと同時に長くぴんと立った黒い睫毛が自分を真っ直ぐに向いていることが心臓が飛び跳ねるくらいに嬉しく、
いきなり掴みかかってくるとはなかなか手が早い…変わらないなぁと少し昔のことを思い出した。
だが、兵助は昔をゆっくり懐かしむような暇も与えず、さらに胸ぐらを掴む手に力を込めた。
「俺だってッ!お前となかなか時間あわねぇしストレスたまってたんだっつーの!
お前があんな時間に起きてるなんて思ってなかったし、正直水ぶっかけられるまでの記憶あんまりないし、
なんで怒ってんのかも意味わかんないし、ああもう!頭痛いし…っ!」
怒鳴り声と比例するように、ぎゅっと兵助の力がさらに強くなる。
しかしその声がどうしたって切なく聞こえて、気づく。
睨んでる目は泣きそうだった。
すでにさんざん泣いたのだろう、少し充血していて、それなのにさらに泣きそうだった。
タカ丸はただ驚いて、ただただその迫力のない鋭い目を見つめていた。
「……なよ…!」
額か掠り合いそうな距離まで詰められ、不意に吐き出された声はうまく聞き取れなかった。
思わず「へ?」とタカ丸が間抜けな声で聞き返すと、兵助はやはり睨んだまま再び口を切る。
「お前だけだとか思うな!」
寂しいとか恋しいとかそういうの。
もやもやとした想いが積もるくらいなら一日がさっさと終わればいいって。
それで一緒に過ごせる休日が、お前といる時間が、さっさとくればいいのにって思ってるの、
「……帰るぞ、タカ丸」
きゅっと眉をよせて不機嫌そうにでもしっかり手を差し出した兵助がそう言いたいのだと、タカ丸はすぐに分かった。
それが分からないほど鈍くもないし、兵助のことを知らないわけでもない。
ほんとはどれほど好きでいてくれるかってことも、
最近忙しくてすこし忘れていただけで、そんなの、お互いが一番知ってるはずのことだった。
「うん、兵助くん」
三郎のマンションを出て2人で歩いて部屋へ帰る。
いつもなら外では兵助が許さない行為だが、朝のまだ早い時間で人も少ないからと、繋いだ手はそのままだった。
触れ合う距離に紛うことない兵助の体温。
この手も同じだけの寂しさや恋しさや愛しさを感じているのだと身をもって感じて、思わず嬉しくなる。
ちらりと横目で兵助を見ると、その横顔が視線に気づいて、不機嫌そうに睨み返してきた。
怒ったような顔もあくまでそんな素振りをしてみせてるだけでしょう。(知ってるよ、うん)
にしても自分から謝るのが相変わらず苦手だなぁこの子は、と内心呟いて、タカ丸は結ばれた手と横顔を見つめて苦笑する。
「…あのね、俺さ、今仮病中なの。
さっき店に電話して、体調悪いから3日くらい休ませてくださいって言ったんだ」
「…このダメ社会人代表」
「勤務態度はすこぶる真面目です」
これでも最近人気のカリスマ美容師なんですよーとおどけて言うと兵助はふんと鼻を鳴らした。
その反応にはっと気づく。
(あ、そうだ、これが気に入らないんだ兵助くん)
父親の称号が最近自分にもつけられるようになって、そのおかげで忙しくなった。
確かそのせいで仕事場も忙しくなって、そのせいで会えなくなって、それでこんなことになったのだ。
タカ丸はそういうことに気づけないなんてまだガキだなぁと、自分に呆れて息をつく。
それからゆっくりきゅっと確かに、兵助の手を繋ぎ直した。
「俺も兵助くんもずっと忙しかったから、
部屋の大掃除して布団ほして冷蔵庫空っぽだから買い物にも行かなきゃだめだね。
今日はしなきゃならないことがいっぱいあるけどさ、全部終わったら一緒にご飯たべよう、兵助くん」
あと、それと、ごめんね。
ついでに付け加えるようにそういうと兵助の手がゆっくり、動き始めた。
タカ丸はほとんど同じ目線にある横顔を黙って見つめた。
唇が自然と笑みを滲ませるのは、しかたない。
「…餡かけ豆腐食べたい、久しぶりに」
「うん、わかった」
「……、ごめん」
「うん、わかった」
指と指が絡みあう繋ぎ方まで誘導されて、互いに優しく力を込め会う。
横目で見れば兵助の目じりの赤いのが分かったのだけど、
からかうと怒ってしまいそうだから、タカ丸は黙って見て見ぬふりをして前を見つめる。
寒々しいくらい青く、それなのにやわらかな光に満ちた空に目を細めた。
(まずは家まで手を繋いで帰って、部屋にあがったら即刻抱きしめてキスして、
ごめんとかそんなのよりも「愛してる」っていっぱい言って、名前を呼んで、離れないでね、一緒にいてね、兵助くん)
(どうぞ、これからはずっと円満に)
***
長くなりましたがおつきあいありがとうございました!
鉢屋が主に大活躍でした…お疲れ様ですありがとう!
タカ丸は一緒にいるために1日がもっと長ければいいのにって思って、
兵助は一緒に入れない1日なんてさっさと終わって一緒にいれる日が来ればいいって思ってて、
ようは一緒にいたいっておんなじ気持ちなのにそれがちょっとすれ違いになっちゃったっていうだけの話でした。