代償としては安すぎる

 *「こころひとつ」と「髪伸びにけり」の数日後

 
 
 
 
 
 
 
どうしたへこんでるなと、友人に言われた回数など、もう数えるのも面倒になった。
伊助には「もしかしてタカ丸さんとなにかありました?」とまで問われる始末。
特別よく気がつく伊助にこの心情を悟られていないはずがないとは思っていたが、
あらためて複雑そうな目で見られるのはなんとも微妙な気分になって、俺も思わず苦笑をかえした。
 
 
 
 
今日の仕事は簡単だからと伊助や下級生を帰した後、在庫表をもっても筆が進まなかった。
(テストの点も下がったし鬱陶しいくらいになにかあったかと聞かれるし頭ん中にゃあの人が居座ってるし)
忍者の三禁を身をもって体験してみて、あぁなるほどと納得する。
そう考えれば色ごとにあれほど溺れておきながら立派に卒業していきやがったあの人たちは、
ひょっとすればかなり器用で優秀だったのかもと考えずにはいられない。
いや、あのひとたちはそれが叶うものであったからまだいい。
叶わぬ人に溺れてしまった俺はどうすりゃいい。
 
 
「…どうしようもないな」
 
 
自問自答して思わず息がつく。
視線を落とせば自分がまとう最上級生の制服の緑が目に入って、
さすればまた俺より前にこれを身に着けていたあの人がうかぶ。
あの人は「再来年には三朗次くんもこの色かあ、いいね、似合うよ」と笑っていた。
髪の色が鮮やかな緑だから深緑がきっと映えるだろう、と言った。
その時に耳に掻きあげた長い髪と指さえも思い出せるのだから、
案外自分は重度に惚れていたのだと自覚せざるをえない。
再び大きくため息をつく。
 
 
「なんだ、悩み事か?」
「っ!?」
 
 
誰もいないはずだった蔵に響いた声に思わず肩がとびはねるほど驚いて振り返ると、
そう問いかけてきた人は、以前に比べると短い髪をゆらして俺の真後ろに立っていた。
その人は俺よりもあの人よりも先に緑の制服をまとい、そして卒業した人で、
煙硝蔵の火薬の匂いをとても強く纏う火薬委員長だった人。
 
 
「久々知先輩が、なんっ、」
「いやちょっと、仕事でな」
 
 
驚いて声もうまく出ない俺をおもしろそうに笑う久々知先輩は、背がずいぶん伸びていた。
前にあったあの人と対して変わらないんじゃないか。
(卒業する前はあの人のがでかくてそれを少し悔しげに見上げていたのに)
そう思うと、いまだ追いつけない自分がなんだか腹立たしい。
優しく「だいじょうぶか、話きこうか」と言われたって、あんたがその悩みの種の一つなんだ、言えるものか。
俺は「なんでもないです」と素っ気なく言って息をつく。
それ以上詮索する気はないらしく、先輩は「そうか、ため込むなよ」と小さく苦笑した。
(言いたかないが、人の気もしらないでそんな優しい顔しないでください)
 
 
「…伊助がたぶん長屋にいます。
 お時間があるなら、会っていってやってもらえませんか」
「うん、そうするつもりだ」
 
久々知先輩は目を細めた。
その懐かしむような表情が妙に大人びていて、ああ、なんでこんなに悔しくなる。
どうせ勝てやしないのになんで、どうして。
 
 
「仕事の邪魔になると悪いからそろそろ行くよ。 じゃあ三朗次、またな」
 
 
先輩は俺の前髪をくしゃりとなでて笑って振り返って、歩き出した。
髪の撫で方があの人のものと少し似ていて心地よくてそれが悔しい。
あの人の仕草や声や表情を俺がいくら覚えているといっても、
あの人のことをこれから先、知って分かって覚えていくのは誰よりも久々知先輩だ。
誰よりも深く長く強く、あの人を好いている久々知先輩だけだ。
 
 
 
「…っ待ってください!」
 
 
それが分かっているのに頭の中に居座り続けるあの人は未だ消えず、
最後に見た後ろ姿が、何度も何度も頭で警鐘をならす。
だから、思わず同じように背中を見せた久々知先輩の腕をつかんでしまった。
蔵にやけに大きく自分の声が響いて、うん?と振り返った先輩と目が合うと気まずい気もしたが、
でも、と決意して喉に力をこめる。
すっと小さく呼吸を整えると、火薬のきついにおいが鼻を刺した。
 
 
「…先日、タカ丸さんに会いました」
「ああ…、聞いた」
「…久々知先輩は、危険だと思いませんか、あのひとのあの髪」
 
 
ぐっとつかんだ手の力を、声を漏らすと同時に抜いていく。
問いかけて手を離して先輩を見上げれば、先輩は少し目を大きくしていた。
 
だって、そうだろう。
あんなに長い髪、もし追われて捕まれたらどうする。
色もそうだがあの髪は命取りになりうる。
あの人が髪を伸ばす理由なんてあんたしかないんだから、
あんたしかそれを終わらせることができないはずだろう。
それなのになぜ、黙認しているんだ。
 
なにも焦がれるばかりであの人のことばかりを考えていた訳じゃない。
恋情がないなんて言えないのは自覚しているが、
それ以上にあの人のことが心配で、
俺よりもっと心配すべき人が何も言ってないことが気がかりで、
すこしだけ、腹立たしかった。
 
俺は睨むように見上げていたのだろう、
久々知先輩は少し顔を険しくして眉間にしわを寄せて、
でもすぐに俺が知っているよりもずっと大人びた顔になった。
伸びた前髪の下で浮かべたそれは、
先輩が卒業した後、毎日門の前で待っていたあの人の表情に似ていた。
 
 
 
「…髪なら、簡単に切り落とせるだろ」
 
あれだけ長い髪だ、腕よりも捕らえられやすい。
けど、あいつは髪結いなんだ、髪を切るのは得意中の得意だし、
あいつのあの手は失くしてはいけないものだから。
 
 
そう言った先輩は自分の手を見つめて、ぎゅっと握った。
見つめる目は優しいくせに厳しく、
まるであの人の手の方が価値のあるものだと言っているようで、俺は思わず眉を寄せた。
あの人が聞いたら絶対に怒るな、これ。
 
 
(あんただってな、その手がなきゃ誰にも触れられないんだぞ)
 
 
あの人にも、触れられない。
手を伸ばそうとしても、叶わない。
体温を知っているあんたはそれに耐えられるのか。
(何も知らない俺だから耐えられるっていうのに)
 
 
 
「…久々知先輩は、惚れすぎです」
「……まあ、自覚はしてる」
 
どっちもどっちだけどという言葉は癪だから飲み込んでそう言うと、
先輩は少し居心地の悪そうな顔で赤面していて、
ああもう、ほんとにどうしようもないのはこの人のほうだ。
俺なんて久々知先輩に比べりゃまだまだマシだ。
 
 
「なんていうか、心配してやってくれて、ありがとな」
 
 
そう言ってもう一度髪を撫でた手はやっぱり優しかった。(あの人のように)
もし久々知先輩が性悪で頭も悪くてあの人のことをちゃんと考えてなくて俺より浅はかなら、嫌えたのに。
尊敬することも憧れることも、負けて悔しいと思うこともきっとなかった。
ああほんと、いっそ清々しいほど、俺はあんたには勝つことができない。
 
 
「好きです、から、俺、久々知先輩も、タカ丸さんも」
 
 
きっと俺が久々知先輩に勝てることなんて、こびりついた火薬のにおいくらいのものだ。
今の先輩から匂うのは、薬草と微かな血と華やかなあの人の移り香だけだから。
 
 
「…ん。じゃあ、がんばれよ、委員長」
「…言われなくとも」
 
 
最後に笑みを交わす。
先輩は振り返って歩き出した。
あの人の手できれいに結われた黒髪は短いながらも昔のように、
まっすぐにぴんと伸びた背中で揺れていた。
 
 
あんたたちが笑ってくれてないと、苦労人の後輩は報われないんだから。
生きててください怪我もできればしないでください、お願いですから。
 
 
まだそれを言葉にできるほど俺は大人じゃなかったから、
憎まれ口を最後に遠ざかる久々知先輩から背を向けたけれど、
いつか、きっといつか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
***
髪のびにけりで久々知がタカ丸が髪切るのとめたほんとのところの理由。
久々知はタカ丸のことすっごい考えてるといいです。
分かってるかっていわれるとすれ違いも多ければいいと思うのですが、
思いやってるというか頭から離れないというか、そんな感じ。ろじが言うとおり惚れすぎくらいでいい。
タカ丸はわりと久々知のこと理解して把握してます。姉さん女房だもの。
ろじ→タカは叶わないのが前提だってろじ自身もちゃんとわかってて、
そのうえで無理に忘れようっていうんじゃなくていつか忘れるだろうって感じで思ってればいいなあと思います。
というわけでろじ→タカ続行です。まだまだ苦労かける、ごめん三朗次…!(男前苦労人代表2)
実は自分が思った以上にタカ丸に惚れてる三朗次とか…あると思います!