白を基調にしたマンションの4階の一室。
どちらかといえば地上に近いけれど、大きな窓からは綺麗に青い空が見える。
それなりに広くて洒落た内装のその部屋は、おかれた家具もシンプルでモノトーンな色合いのものが多い。
けれど、それに不釣り合いな極彩色のクッションや派手な小物がたくさん在って、
似合わないはずなのにどうしてか妙に馴染んでいるこの空間は、
部屋に住んでいる人たちをそのまま表しているかのようだ。
窓辺に置かれた椅子に座って空を見上げていたきり丸はぼんやり考えて、
目の前に置かれた大きな鏡に映された自分の背後、鋏をもつ金髪の美容師を覗いた。
それに気付いたのか、鏡越しに大きな目がきり丸を向いた。
「んー、もうちょっと短い方がいいかな?」
「や、痛んでるところ切ってくれるくらいでいいっす。
それよりあの…わざわざ休みの日に家まで押し掛けてきてすいません」
「いいよいいよー、たまたま休みだっただけで用があったわけじゃないし。
きり丸くんが俺に連絡くれただけでもうれしいな。
それに店じゃなくて家まで来てほしいって言ったのは俺だもの、わざわざありがとう」
にこりと細めた目は昔と同じく、優しい。
斉藤タカ丸、といえばカリスマ美容師として有名になりつつある人だというのに、
面倒だとも言わずよろこんでと笑顔で引き受けてくれたうえ、代金も必要ないというのだ。
ありがたいことこの上ない。
「じゃあ後ろだけ、もう少し切っておこうか」
「はい。お願いします」
タカ丸は鏡越しに目を細めてきり丸に微笑みかけた。
鋏がしゃきしゃきと音を奏で、長い指は黒髪に愛でるように優しく触れる。
その色白の長細い指の持ち主ってのは黒髪が好きなのかもしれない、ときり丸は思う。
見つめてくる目がひどく優しいのだ。
出かけていると言ったあの人と重ねているのか比べているのか、
そう考えずにはいられないほど優しいその目に見つめられると、なんだかこそばゆい。
(言葉にこそ出してないけど惚気られてる感じ…)
そもそもここはバカップルの住処。
逆上せる前に帰りたいなぁと皮肉を内心呟いて気づく。
そうだ、帰らなきゃ。
高校生だった頃よりも遅く始まった夏休み。
あのボロアパートに、今日から俺は帰るんだ。
「…はぁ」
「おや、ため息?
どうしたの、お兄さんがお話聞きましょうか」
タカ丸はにこりと笑みを向けた。
昔よりも少し伸びた前髪がふらりとゆれたその奥で目がすっと弧を描いて細められ、
「ね、話してごらん」と笑って言う声がひどく優しく耳をくすぐったものだから、
きり丸は少し考えてから「笑わないでくださいね?」と釘をさして話始めた。
「…俺、成長期おそいし長かったんですよ」
「うん?」
「高校卒業して大学はいってからもちょっと身長伸びたんすよね。
てゆうか、…あの部屋かなり狭いし、今更帰ったって俺、邪魔になんないかなって…」
きり丸は切ってもらったばかりの前髪をつまんで見上げた。
少し短くなっただけなのに、何故だかいっきに視界がクリアになったような気がする。
その視界は確かに少しだけ高くなっていて、それが気が気じゃなかった。
あの人と同じ高さの景色を見れることができればちょっとは子供扱いされなくなるかなと期待した頃もあったけど、
そんな期待よりも上回るのはあの人と暮らしたあの部屋にいられなくなるかもという不安。
1人暮らしをしてみて、広々した空間っていうのは生活しやすいものなのだと知った。
どちらが洗濯するかとか夕飯をつくるかでもめることもない、自由気まま。
両腕両足を大の字にのばして眠れるのも素晴らしいと思った。
けど、それ以上に腕をのばせばそこにあった体温とか、すぐそばで聞こえる声とか、
あの人の存在がいないってことの寂しさにたえられなかった。
新しい部屋に引っ越してから、何度泣いたことか。
なんどか泊まりに来てくれたり遊びに行ったり、そんなこともあった。
でも生活費や学費を自分で稼ぐためにはバイトをいくつも掛け持ちしなければならなかったから、
あのアパートのあの部屋へ、泊まりに帰る時間はなかった。
ただでさえ狭くてボロくて汚い小さな部屋だ。
2人でかたまって眠ったあの窮屈さやびっしり荷物のつまった圧迫感、
あが心地よくて恋しいと思っているのがもし自分だけなら、そう考えると、
「…俺、帰ってもいいのかな」
きり丸が小さく呟いた。
荷物もたくさんあるし肌寒い春のころよりも図体がでかくなった奴なんて、
いくらあの優しすぎるくらい優しい人でも、笑って受け入れてくれるんだろうか。
きり丸はポケットの中に手をのばし、春にわたされたあの部屋の鍵をにぎりしめる。
あの人は優しい。
だからほんとうは笑ってくれることは分かる。
メールで「夏休みには帰ります」というと「帰っておいで」とすぐに返事がきたけど、
でも、あの人の迷惑にはなりたくない。
そう考えるとあの部屋へ向かうのが少し不安になって、きり丸はため息をおとした。
「あははっ、それで悩んだの」
「…タカ丸さん」
「ごめんごめん!いやぁ、そのセリフ、聞くと悔しがりそうな人がいて」
声をあげて笑ってきり丸に睨まれたタカ丸はあっさり謝って、
「いい年してまだ粘ってんだもん。可愛いったらないよ」と独りごちて笑う。
言うんじゃなかったとむすっと顔をしかめると、
タカ丸は「だって」と笑い、呼吸を整えてまっすぐ、鏡を通してきり丸を見つめた。
「土井先生がきり丸くんのこと邪魔だなんて思うかな」
「え…」
タカ丸はそっと微笑み、つやめく黒髪を優しく撫でながら、
柔らかく細めた目を鏡に映る目を丸くしたきり丸に向ける。
「狭いなぁって笑ってやればいいよ。
きっと大きくなったからなって笑ってくれるよ。
きり丸くんが出て行ったときにその部屋は1人分広くなっちゃったんだから、
先生は狭いくらいが嬉しいんじゃないかな。
きっと寂しかっただろうしねぇ」
頭を抱き寄せられてぽんぽんと優しく、あやすようになでられる。
痛んだところだけ切り落とされて毛先まで綺麗になったつやめく黒髪をくしゃりと乱す指先も、
囁くような諭す声もやけに大人びて見える微笑も全部、優しい。
子供扱いが上手いあの人とはまたちがう、甘やかすのが上手い人だ。
「年の差っていうのはどうやっても埋められないからもどかしいかもしれないけどさ、
でも大人になってくきり丸くんのこと、先生が喜ばないはずないでしょう」
家族だし大切な人だし、年上ならきっとね。
タカ丸は抱き寄せていたきり丸の頭から手を解き、指先で乱れた髪を撫でて整えた。
それから鏡の向こうで呆けたような顔をしているきり丸に、
「ま、身長抜かれちゃうことになるとちょっと悔しいかもしんないけど」と付け加えて、
急に子供っぽく笑ったタカ丸は、首の後ろで結んでいた布の結目をほどいた。
「はい、できました。なにもおかまいできなくてごめんねぇ」
「…いえ、ありがとうございました。あの、俺、」
「うん、いってらっしゃい」
タカ丸はきり丸の背中をぽんと叩いて、にっと笑みを向けた。
きり丸はそれに急かされるように座っていた椅子から飛び降りると、
荷物をもって一目散に玄関へ駈け出して行った。
なびく髪が真っ直ぐでさらさらで綺麗だなぁと感心していると、
ドアノブを回すと同時に「またお礼に伺いますんで!」という声が聞こえて、
タカ丸は律儀だねぇと微笑みながら「また来てねー」と言葉を返した。
それに「ふたりでね、」と付け足した言葉ははたして聞こえたものか。
「いってきます!」
明るく弾む、まだ大人には少し足りない少年の声は、白い部屋に響いて夏の空に溶けた。
***
季節はずれにもほどがある…!(今10月)
きりちゃんは土井先生のことにかけてはすごいネガティブだったらな、と思います。
すぐ不安になってマイナスに考えるっていうか、弱気な感じ。
土井きりまだまだ模索中です…間違ってる感否めない…!
Memoでは通い妻とか頻繁にいききしてるっていってましたが、
よくよく考えれば泊まりとかはあまりないほうがシチュ的にいいんじゃないかと脳内で決定しました…ごめん先生。
大人なタカ丸がかけて楽しかったですw年上心理わかってるw
タカ丸は1つしか変わらないですがそれをじれったいって思ってる相手のことも自分の気持ちもわかってるので、
土井先生のこともけっこう理解できたりするんじゃないかなと思います。心理には聡そうですし。
年齢的にはきりちゃん高校卒業したばっかで18歳だからタカ丸は23歳?いいね!(グッ)